TVでは10代~20代で才能開花した天才秀才をチヤホヤ報道しているが、銀幕の世界を見渡してみると、30~40代でようやく、出世街道が見えてきたという俳優や歌手の方が、業界に生き残り、いい味を出している。
日本でも”エンケン”こと、遠藤憲一は、若い頃は、鳴かず飛ばずだったが、売れてきたのは、30をとうの昔に過ぎた頃だった。
海外では『子役で脚光を浴びたのに、あの人は今』になっている俳優もあれば、そうでない俳優もいるので、日本に比べれば、キャリアを維持するのはシビアな話になる。
そんな中から、今回は、30を過ぎてから出世した俳優や業界人など、セレブを、まとめてみたいと思う。
1:スタン・リー
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マーベルコミック創業者で会長のおじさん、マーベル作品が映画化されると、車に轢かれる運のないオジサンの役だろうが、通行人の役だろうが、カメオで出たがる、ナゾの会長だ。
ルーマニア系ユダヤ人の家庭に生まれたリーは、1939年に、叔父のマーティン・グッドマンが社長を務めるタイムリー・コミックスに、17歳で入社し、アシスタントを務めた。
最初に原案、執筆したのは『キャプテン・アメリカ』だったが、戦中戦後は叔父の意向にあわせて作品を書いていた為、鳴かず飛ばず。
『X-men』『スパイダーマン』『アイアンマン』などの一連のヒット作を生み出す土台が出来たのは、’60年代。
その時にはリーはアラホーになっていた。
そんなリーだが、もう彼がマーベル作品に『カメオで出る姿』をファンが見つける楽しみがなくなってしまった。リーは、’18年に95歳でなくなってしまったからだ。90を過ぎても、写真の通り元気だったリーは、遅咲きながら充実した人生を送っていたに違いない。
2:アラン・リックマン
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『ハリポタ』のスネイプ先生や、『ダイ・ハード』でブルース・ウィリスを追い詰める冷徹なテロリスト役で有名になったリックマン。
’16年に69歳で、すい臓ガンで亡くなってしまったが、彼もまた42歳で『ダイ・ハード』の役をつかむまでは、鳴かず飛ばずだった。
20代の頃はグラフィックデザイナーを志し、20代までは英国で『Graphiti』というデザインスタジオを持っていた。だが26の時に一念発起し演技の道へ。
ロンドンの王立演劇学校に入り、シェイクスピア俳優を目指し、トニー賞を受賞した後に、銀幕では『ダイ・ハード』でデビュー。
その後、デビュー作の『ダイ・ハード』のイメージが定着し、ドラマ的要素の強い大作が回ってこなかった。
『ギャラクシー・クエスト』で演じた、SF長寿ドラマのドサ周りイベントに疲れたシェクスピア俳優の役は、その時の彼の心境を、おちょくったものとも言える。
ようやくつかんだ役が55の時に演じた『ハリー・ポッターシリーズ』のスネイプ先生の役だった。これからの活躍が期待されていただけに、無念でならない。
サミュエル=L=ジャクソン
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出演した映画はカメオを入れると100本を超えると言われる点では、クリストファー・ウォーケンと張り合えるのが、サミュエル=L=ジャクソン。
『パルプ・フィクション』や、『ジャッキー・ブラウン』で脚光を浴びるまで、画面に出ていても、意識もされず、『誰その人』扱いだった事に、ずっと耐えていた。
『スターウォーズ:エピソード1』のメイス・ウィドウ役は『なんでもいいからヨーダと共演させろ』という願いを監督にぶつけたらしい。
現在は映画になくてはならない存在だが、彼が主役と向こうを張れる存在となったのは、ケヴィン・スペイシーyと共演した『交渉人』なのだから、やはり40すぎという事になる。
モーガン・フリーマン
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今でこそ偉大な黒人俳優として知られるフリーマンだが、彼の俳優人生に光が当たったのは、40代どころか、50を過ぎてからの話。
幼い頃から演技に興味を持っていたものの、1955年、ジャクソン州立大学の演劇奨学金を断り合衆国空軍の機械工となった。
ロサンゼルス・シティー・カレッジに事務員として勤務したり、NYに移住し、その後巡業劇団を回り、子供番組に出演をしたが、いずれも決定的なキャリアではなく、いつやめようかと思っていた。彼の俳優人生に光が当てられたのは、’80年代後半、この頃にはフリーマンは既に50を過ぎていた。
現在フリーマンは81歳、『ミリオン・ダラー・ベイビー』などの秀作がある一方で、長年のキャリアの中、ポリシーがあり、CMには出演しないという。、それは自分の影響力で不本意な商品を消費者に購入させるのは良くないと思っているからだそうだ。
スティーブ・カレル
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カレルは、ほんの少し前まで、日本で全くと言っていい程知名度がなかった。一部のコメディマニアだけしか知らない俳優だった。
日本ではジム・キャリーやベン・スティラー、アダム・サンドラーの様な判りやすいコメディ俳優がウケる中、カレルは、ドラマもこなす演技派の俳優として、幅広く受け入れられるようになる。
日本で、彼の名前が知られる様になったのは、アン・ハサウェイと共演した『ゲット・スマート』。
その後『フォックス・キャッチャー』で新境地を開き『30年後の同窓会』では、ローレンス・フィッシュバーン、ブライアン・クランストンと共演し、深みのある演技をみせるようになった。
ブライアン・クランストン
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『マルコム in the Middle』で週末に会社をサボるトラブルパパを演じ、『ブレイキング・バッド』で学校をクビになった教師が麻薬製造に乗り出す役を演じたクランストン。彼の人生に光が当たる様になったのは、50すぎてからだった。
『超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ』では、主演のジャン=マイケル=ヴィンセントの影に隠れ、どこに出ているのか判らない悪役。
’80年代に端役からキャリアをスタートさせた彼は、’00年に入っても『画面のどこに出ているのか判らない人』を演じ続けてきた。
それが後に実在した潜入捜査官ロバート・メイザーを演じる事になったり、『ローマの休日』のゴーストライターを演じた『トランボ』に通じる事になった。
ジョン・ハム
NYの広告業界の熾烈な争いを描いた『マッド・メン』で主人公のクリエイティブ・ディレクター・ドン・ドレイバーを演じるのが、ジョン・ハムだ。
彼にとってこの役は『HAWAI:FIVE-0』でスティーブ・マクギャレット役を勝ち取ったアレックス・オローリン並の背水の陣だった。
2歳の時に両親が離婚、母方の元で育つが、母親が大腸がんになりジョンが10歳の時に亡くなり、父方に引き取られるという複雑な家庭環境に育ち、さらにその父も20の時になくなると不幸に見舞われ続けた。
ウェイターをしながら俳優として活躍していた彼の作品は少ない。
彼が『マッド・メン』の役を手にしたのは、37の時。劇中の勝ち組の役とは正反対の人生ともいえる。
いかがだろうか。
その他にも、売れるまで大工の仕事をしていたハリソン・フォードや、自分が主演でない限り脚本は誰にも渡さないと言った事がきっかけになるまで売れなかったシルベスター・スタローンなど、30を過ぎるまでうれなかった俳優は、業界に沢山いる。
彼らは、時につまらない自尊心を捨て、全身全霊で仕事に勤しんだからこそ、今のキャリアを掴んだのではないだろうか。
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