1年以内に患者が死ぬ殺人医療・京都十全会双ヶ岡ピネル病院の恐怖


京都市右京区の山奥にある、双ヶ岡病院をご存じだろうか。

かつて精神科専門のマンモス病院と言われ、患者数は府内14の精神病院のうち4割強の2000人をオーバーし、2年以内の患者死亡数は9割以上にのぼった悪名高き病院である。

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『患者処理工場』と言われた、双ヶ岡病院及び、系列の京都十全会とは、どの様なものだろうか。

1:問答無用で患者拘束、診察なし

『もう今日で終わりやろ、今日で終わりやろ…』

暴れもせず、おとなしくして、食事も普通にできるのに両手足を拘束され、鉄格子の8人部屋に放り込まれ、リンゲル注射をうたれ続け、おむつをあてがわれ、おむつ交換もろくにされる事がないまま垂れ流すしかなかった、27歳の女性患者(昭和45年当時)は、念仏の様に唱え続けたという。

27歳女性患者は、鉄格子の8人部屋に放り込まれた時に、睡眠薬を注射され3日3晩眠り続けた。目が覚めて放り込まれた部屋の状態や、他の患者の足が、リンゲル注射と拘束で浮腫んで、きんきんに腫れあがっているのを目の当りにしたという。

女性が拘束から解かれた時には、既に3週間が経過していた。

『やっと明日から(垂れ流しという)恥ずかしい思いをしなくて済む。お手洗いに自由にいける。』とロビーで待つ母親の元に行った時、今まで病院から出した数少ない手紙すら届いていなかった事が発覚。

怒りのあまり涙が込み上げてきた女性を見つけた看護婦は
『(患者は)興奮してますから』と冷酷に、鉄格子の向こうに押し込んだ。以後、この女性の生死や後遺症の所在は残っていない。

この女性の証言は、後に京都・十全会を告発する重大な証言となった1つであり、精神病患者虐待が明るみに出るきっかけとなったものだった。

約30~40年前、精神疾患は、遺伝性要素が大半を占めるという見解が医療界であり、統合失調症は精神分裂病とい病名がまかり通っていた。
親族内で精神病患者が出た場合は、十全会の様な病院に多額の金を出して放り込み、言葉悪く言えば『家族の中から亡きものにする』事が通っていた。

この女性の様に、迎えに来るのは生みの親である母親だけというのも珍しくはなかった。

筆者は親族が京都にいるが、50代以上の京都の人間は全員といってよいほど十全会の悪行は知っている上、心のどこかで、あの病院の経営が成り立ったのは、京都の陰湿な土地柄と医療法人の独自の権威があってこそ成り立ったのでは、と誰もが口をそろえて言うらしい。

2:十全会とは

十全会は、1954年に岡山医専卒の赤木孝が精神科専門として『双ヶ岡病院』を設立した事にはじまる。

翌年赤木は『双ヶ岡病院』を法人化し理事長に就任すると、医療法人『十全会』を設立。妻の静江を理事長にし東山にあった進駐軍のダンスホール跡地を買取り結核患者専用の『東山高原サナトリウム』を設立。

『双ヶ岡病院』の側に、精神科専門病棟『ピネル専門病院』を建てた。

戦後は結核患者の治療が国の方針により無料だったが、戦後結核の特効薬であるストレプトマイシンが広まったことで患者が激減。『双ヶ岡病院』は老人医療病院を専門となった。精神医療が本格化したのは、1964年のライシャワー事件からである。
1964年に米国大使ライシャワーが統合失調症の男性に刺殺された事件から、日本では精神衛生法(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律:略称:精神保健福祉法)が設立。

精神病患者は無料で治療が受けられるようになり、十全会はその流れにのった。

医療品の関西薬品、病院食の関西食品を傘下にし、5法人、20の子会社を持ち、2000人以上の患者を抱えるマンモス病院だった。

昭和48年の衛生局の立ち入り検査の結果、精神病床1875床に対し、一般病床が70という典型的な精神病院で、看護婦はパートが9割で人件費を浮かせるだけでなく労組を結成させない悪知恵が働いていた。

京都府の精神病院の死亡者が、この年の1月~9月まで937人だったのに対し、859人という9割以上がこの病院で、しかも入院1年以内でなくなっていた事が発覚。

精神医療が国庫負担金であった当時を利用した金儲け主義であった事が明らかなのは、人件費節約と、薬剤師捻出の極悪医療の当時の医療で判る。

1:患者400人に対し、医師は2人。診察は入院時のみで鉄格子ごしで、患者は今の精神科保護室の様に、鍵がかかっていて自分から出る事が出来ない。

2:看護婦の9割がパートで、時給は4時間まで340円、それ以降が125円にさがるので、殆どの看護婦は3時間交代。看護助手の8割は入院費捻出の為脅された退院患者で、1日8時間280円で働かされている為、院内の意思疎通は不可能。

3:上層部のいいなりになっている正看護婦は月に30万貰っており、彼女らに逆らうと電気ショックで殺される。

4:大部屋は123帖の広間に90人が詰め込まれる。空調がない

5:両手両足拘束され睡眠薬や強度の高い鎮痛剤、リンゲルを打たれ続け、死亡する。

6:毎日病院の前に霊柩車が止まっていて、カルテにはあらかじめ死亡診断書がはさまれている。

この他にも、命からがら退院出来た患者や、辞職した看護婦からの貴重な証言によると、

1日18円の作業療法を続けていれば1か月1万円の給料の准看護婦にするといわれた患者もいれば、入院費が払えなかった患者が措置入院になればタダになると聞きとびついた例もしらされたという。

だが患者たちは、後で一生出られないという代償を聞かされ自殺していたというのだ。

これらの証言は、院内でお互いに見張りをつけ、患者たちは、もうろうとした意識の中、必死で自我をつなぎ止め、外にこの事実を明るみに出そうとしたのである。

一度入ると生きて戻れない。府内の精神病患者4割が殺されると言われた悪名高き十全会にメスが入るきっかけとなった事件は何だろうか。

3:株買い占め事件発覚

昭和44年11月、障碍者家族や福祉関係者が所属する社会福祉問題研究会(略称・社問研)の元に、十全会の患者大量虐待死亡事件の事実が元患者、元看護婦からもちこまれ発覚。

昭和45年4月には精神障碍者親族の『あけぼの会』が発足。社問研や社会党、共産党議員らが府会で十全会を告発したが、一蹴されてしまった。

当時も今もだが、京都の医療業界は革新的であるという事は表向き。

患者へのインフォームドコンセントや精神医療の取り扱いは、出遅れているどころか、つい最近まで臭い者にフタ状態だったのだ。だからこそ十全会問題発覚から判決まで11年の時がかかったともいえる。

同年10月、立命大、京大、同志社大名誉教授を巻き込み『十全会を告発する会』が発足。学界、宗教界、法曹界を巻き込む論争となった。

だが立証が確定できそうな3件の患者虐待事件に関わった三人の十全会の医師、酒井泰一、池田輝彦、国吉政一の虐待の専門医鑑定が出来なかったのには理由がある。

彼らの出身大学医学部(池田医師が京都府立医大出身である事から、府立医大である可能性は高い)の医師たちが『関わりたくない』と鑑定を拒んだからだ。自分たちの地位名誉を脅かしたものに関わりたくないというスタンスをとったのである。今でもこれは医療業界にはびこる闇だろう。

十全会は、虐待した精神病患者が院内で暗黙の了解のうちに死んでいく上、告発する会のメンバーも当初に比べまとまりがなくなってるのを見計らい、昭和50年ごろに告発する会を名誉棄損で訴えた。告発する会も、もはやこれまでかと思われたがそうではなかった。

十全会が欲を出し過ぎたからである。

告発する会がなりを潜めた途端、日本精神神経学会精神医療問題委員会が十全会を告発。朝日新聞全国版に実態が掲載された途端、他の地方紙や週刊誌にまで悪評が広がった。

昭和50年に入ると十全会は、70歳以上の老人医療が無料になる事に目を付け、老人医療という違法看板を掲げ認知症患者を積極的に受け入れ始めた。

当時、特別養護老人ホームは少なく、希望して一週間で入れるのは十全会のみ。家族の希望で車で送迎するというサービスまでつけ、病院のパンフレットを県外までくばり、老人に施す医療は精神病患者と同じような殺人医療だった。

患者病床が2000人を超えるのは相変わらずだったが、ベットの隙間はわずか30cmとプライベート空間は全くなかった。

そんな十全会に終わりが来たのは、株買い占め事件の発覚で厚生省から医療法違反で、昭和54年(1979年)2月に行政指導は入った時だった。

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十全会は、高島屋の株2300株を買い占め筆頭株主になっただけでなく、宝酒造の株を売りさばき20億の利ザヤを稼いでいた。

前年の医療所得は双ヶ岡病院が業界トップで27億1000万円、二位は十全会で20億。医療所得で、昔も今も業界3~5位につけており、赤木と同じ様に一代で病院を作った徳州会でも平均で6億円である。夫婦で47億円のボロ儲け、しかも個人経営となると行政が目を付けないはずもない。

昔の十全会闘争に再び火が付き、警察庁、国税庁をも巻き込み、十全会は大阪高裁で裁判にかけられることになり、昭和55年(1980年)9月、十全会の医療行為は不当であるとした。

その結果、十全会は同族の退陣、虐待に関わった医師の退陣、株や不動産の処分、土地処分、ピネル病院は閉鎖に追い込まれた。

この裁判の結果、十全会が、アサヒビールの2割にあたる株2300万株(100億円)を購入していた事も発覚。

その他にも関連会社名義で不動産を市場価格の8割り増しで購入し、病院経費として計上したあとマネーロンダリングし、赤木夫妻の会計に計上していた事も明らかになった。

では現在の十全会はどうなっているのか。

4:現在の十全会とは

十全会は、’00年に介護医療制度が発足し、『新生十全会』として再スタート。
以前の施設は。双ヶ岡病院と東山高原サナトリウムが残っていて、老人専門医療となっている。

裁判沙汰の、ほとぼりが冷め、介護医療制度が改正された後に、赤木一族の遠縁が理事長職についている事は変わりない。

’01年に介護施設『はーとふる東山』を開設したのを皮切りに、’15年にはサ高連を二件設立。2年前には訪問介護ステーションを設立し、病床数は3000とマンモス病院となっている。

現在も働く、もしくは退職した職員の話によると、職場のモラルが向上しているとはいえないという。
病院内は禁煙であるはずだが、タバコのにおいが充満していて、給料が長く勤めている人との格差が歴然とし、人格的にもおかしな人がいる事は拒めず、人気のある病院とは言えないらしい。

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事件から40年。昔京都では、騒いだだけで、『ピネルに行け』だの『緑の救急車でピネルに運ばれて一生出られないぞ』といういじめが京都では横行していた。十全会の抱える罪は、大きい上、解決するには程遠いと言えるだろう。

それもこれも、十全会の経営ポリシーが、時の医療制度の『お得感』に便乗して、患者第一ではなかったからともいえるのではないだろうか。

新生十全会

十全会糾弾闘争の経過

十全会株買い占め事件

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