【半年で二億】伝説のパチプロ集団・梁山泊の真相(前編)


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’94年、半年で2億円稼ぎ、4年間で広島と沖縄を除くホール全国制覇を成し遂げた伝説のパチプロ集団『梁山泊』が居た。


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グラサンに高級シャツのいで立ちでドル箱を積み上げる彼らの姿は、傍目には異様に映ったが、その活躍が知れ渡る様になった一年後、メディアに露出。途端にヒーロー扱いされる様になった。

その後、彼らの偽物による相場捜査、脱税、パチプロ攻略本詐欺事件が起こり本物の攻略プロであった梁山泊は、忽然と姿を消す。

今彼らはどこで何をしているのか。そして彼らの成り立ちはどういうものだったのか。そしてなぜあの様な詐欺に巻き込まれたのか事件の全貌を前後編2回に分けてお届けしようと思う。

1:打つのは1日3時間、土日祝を避け、儲けは分配した

梁山泊は、’94年に、関西一円の攻略プロ16人(最終的に18人)で結成された集団だ。

彼らが広島、沖縄を除くホール全国制覇という偉業を4年間で成し遂げるため決めた理由は以下の通り。


・混雑時は避け、1日3時間、平日午後7時まで、土日祝、年末年始は打たない
・2人1組で行動、ゴト(違法)行為はしない
・勝つ限度額を決め、設けた金は、メンバー全員で平等に分配する

彼らが狙ったのは、当時9割のホールに入っていたという連チャンマシン『春一番(西陣)』。大当たりが235分の1で、大当たりラウンドごとに内部抽選が行われ、4分の1で『天国モード(大当たり確率8分の1)』に達する爆裂機だった。

春一番のランプ点滅でモード移行を見破る事で、永久連チャンを狙い、ドル箱を積み上げる攻略法を編み出した梁山泊。彼らの成り立ちはどこから始まったのだろうか。

2:元リーダーK氏は、最初は素人だった?

梁山泊の面々16人は、最初から16人全員は攻略プロだったのではない。驚くべきは元リーダーのK氏は、パチンコの素人からはじまった事だ。


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K氏は神戸市でコンサル業を営んでいた20代の若者だったが、滋賀の仕事先の接待で知り合ったのが、攻略プロの北氏と滋賀を拠点に活動するパチプロたちだったという。
彼らは県内のホールを打ちつくし。県内ホール出禁寸前となり、他府県への遠征を考えていた。

そこで北氏は、神戸から来たK氏に春一番が各ホール9割入れている人気台である事、この台ろ攻略できればもうかる事。そして攻略法を教えるから案内してくれと頼んできたのだ。

今なら考えられない事だが、K氏は伊丹市にあった知り合いが経営するホールに『2時間だけなら』という理由で、北氏を筆頭とする攻略プロ5人を招いて試しに『春一番』を打って貰った。次々と永久天国モードで連チャンを出す彼らの技に度肝を抜かれたK氏とその後輩らは、北氏から攻略特訓を受ける事となった。

無論、最初の2~3週間は、実践として台にむかっても連チャンは3~4回で終わり儲けにならない。それが永久連チャンをマスターした途端、面白いように儲かりだしたという。

そんな彼らが次に向かった先は大阪だった。

3:梁山泊結成

兵庫県内で打ち倒したK氏と後輩、北氏と滋賀グループが向かったのは大阪。
そこで出会ったのは一匹狼な攻略プロ・大野だった。

盤面のランプ点滅でモード移行を見破る『ランプ打法』をとったK氏たちと違い。大野はBGMでモード移行を見破り春一番の永久天国モードの大当たりを維持させる『八木節打法』を取っていた。

彼が合法的攻略を取っていた事と、目立たない様に1日4万円までにしていることにめをつけたK氏は声をかけた。その後、腕利きの大工から攻略プロとなった大阪のタカ、浪花の哲が加わり、彼らの活躍に目をつけたルポライターの濱田氏がK氏ら攻略プロ集団を『梁山泊』と紹介した事から、その道の人間に名前が知れ渡るようになった。

攻略プロは一匹狼が多く自分さえ儲かればそれでいい、宵越しの金が持たないというタイプが多いとK氏は言う。K氏が北氏から攻略法を教わった時も、攻略法の肝心要の部分は、なかなか教えて貰えず台を攻略するのに具体的なポイントがつかめなかったのでかなりてこずったという。

2人1組で行動させ、午後8時にはその日の売り上げを報告させ、売上の悪かったメンバーは甘やかさず、厳しい店に行かせて腕を伸ばすのがK氏の教育法だった。

週刊誌に活躍が掲載された事から、梁山泊の存在を知って頼みんでメンバー入りした若手マリボの松ちゃんが加わり、梁山泊のメンバーは関西一円で16人となった。

無傷で済まされなかったホール側との攻防

梁山泊結成当時のメンバーの平均年齢は26歳。’20年現在の様に1円、0.5円パチンコなどなかった時代、パチンコは働いてやる娯楽という認識があった。
梁山泊の面々は関西制覇をひっさげ、お江戸遠征を決め込むが、彼らはホール従業員のみならずバックに潜む組織の報復に遭うことになった。

新宿や上野で打つと、面が割れているからかすぐバレる。偵察部隊を先にやり、どのホールに春一番がどれだけ入っているか偵察した後、2人1組で打ちにいくのだが、打とうとする台を席取りする行為や変則打ち禁止の張り紙は日常茶飯事。


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大当たりが出た時にいきなり電源を切られたり、閉店の音楽を鳴らされる嫌がらせにもあった。
ホール側と梁山泊のメンバーがモメたとしても警察側も『合法手口』という事で当事者同士で話し合うしかない。そうなるとホール側の妨害は手段を選ばなくなっていったのだ。

梁山泊の面々がホールに行くと従業員全員がヤクザという事もあったという。
ある時はリーダーK氏が不覚にもキレて、張り込みをしていた警察のお縄になった事もあった。

高知県では従業員がパチンコ台の壁面ガラスを素手で割り、流血騒動を起こしてまで台を止め、傷害罪の濡れぎぬを着せようとした。では梁山泊の名がパチンコを打つ人以外に知られる様になったのは、いつごろからだろうか。

5:自分たちだけが儲かろうと思っていなかった

梁山泊の活躍がTVで知られる様になったのは、活動から2年半たった時の事。新旧メンバーの入れ替わりが行われている時期でもあった。爆裂機撤去が決まりCR機本格導入が始まったのもこの頃からだった。

爆裂機で儲けを出していた梁山泊もCR機対策を練る為に。日本でNo.1と言われたパチンコ攻略情報会社『キャッツ』と提供。『春一番』の前に出た『ブラボーキングダム』の攻略法を編み出し、3万人の会員を持つ彼らと組むことでCR機制覇に挑む様になった。

中古マシン専門に扱う店で、欠陥品として流れてきたCR機を買い取り徹底検証し、実践に挑む梁山泊の面々。が、彼らはいずれ自分たちの道に終わりが来ることを予感し、攻略法を教える事にした。

彼らが攻略法を教えた理由は1つ。やり方は判っても簡単にマネ出来ない。それは攻略プロとしての誇りだった。その一方で元リーダーのK氏は『自分だけが儲かろうとは思ってもいなかった』という。

彼の良心が後に、メンバー現役中にニセモノを大量に生み出し、ニセモノにより後の一連の詐欺事件を引き起こすことになったともいえる。

6:メンバーの大半は消息不明

’20年現在、梁山泊の面々の大半は消息不明か、所帯を持ち普通の生活をしているか、どちらかだという。事業を起こし大々的に成功している人間がいるかといえば、答えはNOだ。

ささやかかつ身の丈にあった幸せを享受する事に感謝したものが攻略プロ以外の幸せをみつけられる。と考えたものから、この道を脱出して新しい人生をつかんでいる。

メディアに梁山泊が取り上げられている時点で、いち早く抜けたのは古参メンバーの1人、浪花の哲だった。彼は大阪府箕面市で台湾ラーメンの店を出しており、店は繁盛している。


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宵越しの金は持たないと豪語した面々、人生に挫折して攻略プロの道を選んだものはいずれも行方知らずだ。元リーダーのK氏はメンバー同士の集会でも、攻略プロである以前に『人として恥ずかしくないように』という意味も含め時間厳守、配当分割など、傍目には厳しいと言えるほどのルールを徹底させていた。

次回は、そんな彼らが何故、一連の詐欺事件に巻き込まれたのかを語ろうと思う。

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