今年初め、20世紀フォックスが、新聞王ランドルフ・ハーストの孫娘・パティ・ハースト事件の映画化企画を取り下げた。
昨年末『LOGAN/ローガン』のジェームス・マンゴールドが監督、エル・ファニングが主演という発表があったばかりだが、本人の抗議を受けての事だった。
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現在60すぎの、こんな感じのパティ・ハーストだが、’74年に彼女が起こした事件は『メディア王の令嬢がテロリストに』と世界を驚愕させるものだった。
その一方でストックホルム症候群のさきかげとも言われたこの事件。裏に何があったのか。
パティ・ハーストって誰?
パティ・ハーストは、’54年2月20日、米カリフォルニア州生まれ。
父親は夕刊紙『サンフランシスコ・エクザミナー』の社長ランドルフ・アパーソン・ハースト。祖父は新聞王ランドフル・ハースト。
祖父のランドルフ・ハーストは、最盛期には28の新聞18のメディアを傘下に収め、総資産額4兆4200億円と言われていた。
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孫のパティは何不自由ない世間知らずな生活を送り、婚約者も大学の同級生で御曹司。親が家賃を出してくれるコンドミニアムで同棲する贅沢三昧の暮らしを送っていた。
時は、’74年2月4日、パティ19歳。
パティが、夜中にLAのコンドミニアムで彼氏とくつろいでいた時に、玄関先に不審者が現れ、彼女だけ連れ去られてしまった。
当時のLAは、トップクラスの富裕層と、貧困層が入れ混じりで暮らしており、不可解な誘拐事件がいつ起こってもおかしくなかった。
事件発生から3日後、地元バークレーのラジオ局『KPFA』に犯人からの犯行声明が届いた。
犯人グループはSLA(左翼過激派シーンバイオニーズ解放軍)というもので、貧困の差をなくし、共産主義を掲げる為には殺人もいとわないという悪名高きテロ集団だった。
SLAは、身代金の代わりに、カリフォルニア州の貧困層40万人それぞれに70ドル分の食糧を与える事、2週間で達成できなければ娘の命はないというものだった。
そして弱弱しいパティの『パパ、ママ、彼らのいう事を聞いて』という声がラジオ越しに流された。
FBIカリフォルニア支局のチャーリ・ベイツが捜査の指揮をとり、SLAからパティの身柄を確保すると同時に、犯人の要求である貧困層への食糧確保に乗り出す。
だが2週間で貧困層40万人に70ドル分の食糧を確保するためには、10億円分の予算が必要であり、当然の事ながら、全員に行きわたるわけもなく、各地で暴動も起こった。そして2週間後、FBIとパティの家族はSLAから新たな挑戦状を叩きつけられる事になった。
美人令嬢からテロリストへ
2週間後、SLAから家族の元に、一枚の写真が送られてきた。そこには変わり果てた娘の写真があった。自動小銃を構えゲリラに身をやつしたパティはもはや資産家の令嬢ではなかったのだ。
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パティは、SLAのメンバーから、チェ・ゲバラと共に戦った女兵士に敬意を表してタニアという名前を与えられ、自らをタニアと名乗る様になっていた。
事件から2か月後、パティはSLAのメンバーと共に、サンフランシスコ北部のハイバーニア銀行・サンセット支店を襲撃。一般市民2名が死亡するという事件が起きた。
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防犯カメラに、覆面もせず銀行の正面玄関で自動拳銃を抱え罵声を浴びせるパティが映った上、映像がメディアに公開された為、FBIはパティを指名手配する事に。全米中が令嬢がテロになったとショックを受けた。
ハースト家は地に落ちたとあざ笑うものも居たが、この頃全米各地でウェザーマンをはじめとしたテロが勃発していた事から『タニアは悪くない』と彼女の味方をするものも居た。
5月17日、FBIはSLAのアジトを襲撃し焼き払い、犯人グループ6人を射殺したが、その中にパティは居なかった。パティはその時、仲間と共に買い出しに出かけており難を逃れたのだった。
6月7日、パティは、タニアを名乗り、家族とFBI宛に、自分はまだ生きている事、最後の最後まで抵抗を諦めない声明を発表。婚約者をセックスアニマルと罵り、家族をファシストの豚呼ばわりし、これからはSLAと共に生きていく。と今まで生きてきた社会と決別する決意を明らかにした。
婚約者の御曹司は一縷の望みも絶たれたのか、婚約を破棄。両親も絶望の淵にたたされた。だがFBIは諦めなかった。
それから三か月後の、9月18日。
パティは潜伏先でFBIに逮捕され、捜査官に銃をつきつけられた途端、今までのSLAによる洗脳が解けたのか失禁してしまい、その場で、着替えてしまったという。
恐るべし洗脳、そしてありえない特赦
この事件で特筆すべきは、パティが洗脳された過程、その時代背景、そしてありえない特赦だ。
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’70年代の半ばは、ヴェトナム戦争そのものが間違っているという事から、各地で若者によるテロが勃発。ウェザーマンをはじめとした極左テロが暴力テロとして世間を揺るがせていた。
SLAのメンバーの大半はインテリ白人層だった事から、中心メンバー数人を除いては世間知らずのインテリ坊っちゃんや令嬢が連れ去られ、極限状態に置かれた後、パティの様に再教育された結果、テロリストになったものと思われる。
この洗脳方法は英国特殊空挺部隊(SAS)でも採用されており、極限状態の人間を利用する方法の1つとして知られている。
しかもパティはSLAの中で、恋人を作っていた事が発覚。世間知らずで親が決めた婚約者の御曹司と比べてしまったのも無理はなかったのかもしれない。
それと同時に、パティは、俗に言われる『ストックホルム症候群』のさきがけと言われている。ストックホルム症候群とは、誘拐の被害者が犯人と居る間に同情してしまう事だ。
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事件の裁判は、パティ逮捕の翌年に始まったが、彼女はSLAからの洗脳がとけたのか、それともお嬢様特有の無責任さかしらないが無罪を主張。
陪審員が懲役35年の有罪判決を下したにも関わらず、当時のカリフォルニア州知事だったレーガンや、西部劇俳優で政治界に大きな影響を持つジョン・ウェインの嘆願で、刑は7年に縮小された。
それだけでなく、カーター元大統領の恩赦と、保釈金一億5000万円で、1年4か月で出てきてしまったのである。世間からしてみれば、金さえあればなんでも出来るんだなというバッシングを受けても仕方がない行為だった。
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パティは、釈放後、25の時に、彼女のボディガードをしていたサンフランシスコ市警の警官バーナード・ショーと結婚。これは彼女が釈放された時の写真だが、こんなバカっぽいお嬢様のどこがいいのか不思議だ。
バーナードは警官を辞め、ハースト財団の警備を行っていたが’13年に病で亡くなった。妻の財産をおすそ分けして貰うという企み通りにはいかなかった様だ。
パティはメディアに積極的に出演し、事件の事をベラベラと喋っていた為に、今回20世紀フォックスの映画化にも猛抗議したという事になる。
そして、こんな厄介な事件の捜査を担当したFBI捜査官、さぞかし手を焼いただろうが、誰だったのだろうか?
FBI捜査官はウォーターゲート事件も手掛けていた?
パティ・ハースト事件の指揮をとったFBI捜査官は、チャーリー・ベイツ。キャリア36年のベテランで、後に『ディープスロート』と呼ばれる事になった、FBI副長官マーク・フェルトと共にウォーターゲート事件の捜査を行っていた。
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だがウォーターゲート事件で情報漏えいの疑いをかけられ、’72年にサンフランシスコ支局長として転勤。そこで指揮したのがこの事件だった。
現在公開中の『ザ・シークレットマン』では、チャーリー・ベイツをジョッシュ・ルーカスが演じている。
ちなみにパティ・ハーストの祖父、ランドルフ・ハーストは自分の息子たちにビジネスの才能がないのを見抜いていたのか、家族信託を組んで、孫の代ぐらいまでは年金で暮らせる様にしていたという。
そのおかげでパティは年金生活をしているわけだが、パティの娘であるリディアは有名ブランドのスーパーモデルで資産は1億ドル(120億円)と言われている。
ひ孫の代になってようやく自立したのだから、ランドルフ・ハーストの気が気でないだろう。
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