【死んだら終わり】本当に殺人を犯した作家たち


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いくら小説にリアル感をもたらしたいからといって、犯罪小説家が犯罪を犯せば何にもならない。作品のネタに詰まってしまったからといって身内を殺してしまったという結末も頂けない。
だが過去にベストセラーを出版した作家は常にその危機にさらされている。今回は実際に犯罪を犯してしまった作家を紹介しよう。

1:刘永彪(Liu Yongbiao)


©nypost.com

時は’17年8月、刘は『人殺しの美人作家(The Beautiful Writer Who Killed)』というミステリーの執筆にとりかかっていた。

彼は8月15日の金曜日、22年前の’95年11月に共犯者の企業家と共に浙江省湖州市のホステルで宿泊客に強盗を働き、強盗の過程で人質が抵抗した為殺し、ホステル支配人とその妻、ホステルに来ていた支配人の孫(当時13歳)の計4人を殺した疑いで逮捕された。

『人殺しの~』の内容は、人殺しを重ねてきた美女作家は、全ての事件がお蔵入りとなっている為、今まで生きながらえてきたというもの。まさに作者の生きざまを映し出したようだった。

22年間未解決事件扱いとなっていたこの殺人事件だが、DNA鑑定の技術が進んだ結果、刘が犯人と割り出された。彼は身柄を確保しにきた警察官に『ずっとお待ちしていました。』と静かに話したという。

刘は中国国内の犯罪小説家同盟に入会しており『人殺しの美人作家』が映画化されるのを望んでいた。自分の作品が映画化されれば知名度も上がるからだ。知名度を上げるためにリアル感をだそうと実体験を書いてしまった事が、墓穴を掘る事になった。

デイリーメール誌によると、彼は’18年7月に死刑判決を言い渡され、妻にこの様な手紙をあてている。

『私は20年間恐怖の中に生きてきました。この日が来るのを知っていたのです。長年耐えなければならなかった精神的な苦痛からついに解放されました』

2:ケネス・ハリウェル


©murderpedia.org

劇曲家のジョー・オートンのパートナーであり、私生活でもパートナーだったケネス・ハウエル。’60年代のスウィンギン・ロンドンで、ゲイはマイノリティだった。

ケネスの人生は波乱万丈で、11の時に母親が事故で亡くなり、23の時に父親が泥酔事故で亡くなった。そんな時にジョーに劇曲家としての才能を見出し、両親の遺産と劇作家としてのノウハウをすべて注いでしまう。

だがケネスの思いは報われる事はなく、’67年ケネスはジョーの頭を何度もハンマーで殴り撲殺した後、睡眠薬で服毒自殺、無理心中を図る事になる。二人の関係が『プリック・アップ』として映画化されたのは、事件から20年もたった頃だった。

3:リシャルド・クリンカーメル


©theguardian.com

オランダのミステリー作家、クリンカーメルは事件を起こすまで、お世辞にも売れているミステリー作家とは言えなかった。

事件が起こったのは’92年、クリンカーメルの妻・ハニーが1年も行方不明になっている事が判明。その後、彼は平然とした顔で新作『Mince Day』を出版社に渡した。内容なは妻を殺すグロテスクかつ恐ろしい7つの方法というもので、そのうちの一つは死体をミンチにして鳩に食べさせるという『スウィーニートッド』の様なものだった。

あまりにもリアルな内容だった為、警察は彼の妻の失踪の犯人は夫ではないかと疑いの目を向けたが、捜索しても死体が見つからない。不気味すぎるという理由でクリンカーメルは出版を拒否され、原稿の一部はアングラで広まる事になってしまった。

事件は未解決のまま時が過ぎ、クリンカーメルは自宅を’97年に売却。アムステルダムに移住。その家には別の家族が引っ越してきた。

だがその時に真相が露見する。家の改装の為、業者が裏庭を掘った所、コンクリートの床下からクリンカーメルの妻の頭蓋骨が見つかったのだ。

’00年にクリンカーメルは逮捕。7年の刑となったが、何故か2年で出てきた。こういう輩を野放しにするオランダの司法もどうなのかと思うが、クリンカーメル本人は’16年で78歳で、作品も残さずこの世を去った。

4:ジャック・ウンターヴェーゲル


©murderpedia.org

不遇な環境に育ち、若い頃から犯罪に手を染め、連続殺人犯になるというケースはある。だがウンターヴェーゲルは、仮釈放後に国を跨いで10人以上も殺した連続殺人小説家だった。

売春婦の母親と米兵の間に、売春が合法なオーストリアで生まれたウンターヴェーゲルは犯罪を重ね、’74年に18歳の売春婦マーガレット・シェーファーの家に押し入りブラジャーで首を絞めて殺した。彼曰く、母親を思い出し殺したのだという。

終身刑となったウンターヴェーゲルは、獄中で読み書きを覚え、自伝の『煉獄(Fegefeur)』がベストセラーとなり、’90年に仮釈放された。その後は更生した犯罪者という名目でメディアに顔を出し、写真集まで発売されスター並の扱いを受けていたが、その裏で犯行を犯していたのである。

’90年~’91年に立て続けに、首をストッキングで縛る絞殺死体の売春婦殺人事件が5件もオーストリアで起きた。売春が合法のオーストリアで起きた事件。犯行当時の結び目が独特であることから、ウンダーヴェーゲルの犯行である事は濃厚だった。

その頃、当本人は出版社の要望でカリフォルニアで売春事情を取材していた。だが所詮は犯罪者で売春婦を見ると母親への復讐が渦巻くのか、ウンターヴェーゲルは取材した女性を次々と手にかけてしまい、インターポールから指名手配されてしまう。

世界中を逃げ回ったが、時すでに遅し、ウンターヴェーゲルは’92年2月にマイアミで捕まった。11件の殺人容疑で起訴され、9件の殺人で有罪となったウンターヴェーゲルは逮捕された当日に拘置所で首をつって自殺。その結び目が被害者のものと同じだった事は言うまでもない。

5:ハリー・ホース


©kemenyborito.reblog.hu

日本でも『ちびうさシリーズ』の絵本で知られる絵本作家・ハリー・ホースは’07年に46歳の若さで亡くなっている。

絵本の共同作家で妻のマンディと18年間連れ添い、マンディが晩年、多発性硬化症を患い、彼女の死がショックでハリーも後を追うように亡くなったというのが通説だ。

だが真実は違うという。ハリーは晩年うつ病を患い、ドラッグに手を出す様になり、ついには病床に伏す妻に処方されている痛み止めにまで手を出すようになってしまったというのだ。

’07年、ハリーは、マンディの看病に疲れ、マンディの車椅子をひっくり返した後、30~40回も殴り、撲殺した後に、自殺したというのが本当の話だというのだ。

晩年、ハリーは新作に恵まれず、そこに妻の看病が重なり、作家生命を絶たれるという苦しみを味わう事になってしまった。

4番目まで上げた作家と違い、犯罪小説家が犯罪を犯すというケースではないが、絵本作家が夢を絶たれてしまったという事には違いないだろう。

冒険小説『ダーク・ピットシリーズ』で知られる作家・クライブ・カッスラーは、小説に真実味を持たせるために、小説中に出てくる主人公ダーク・ピットが活躍する団体NUMA(国立海中海洋機関)を実際に作ってしまった。

NUMAを自分の印税で作り、沈没・行方不明になった艦船等の探索を趣味の領域を超えて行っている事が作品にリアル感をもたらしている。

ジャック・ライアンシリーズの生みの親トム・クランシーは、カッスラーのリアル感と世界観に感銘し大ファンなのは周知の事実だ。

だがミステリー作家が殺人犯となれば話は別。小説に真実味を持たせたいから、読者の期待にこたえたいからといっても、やる事に限界というものはあるだろう。

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クライブ・カッスラー

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