【精神科外来】松沢病院に歴代異常犯罪者が集まりすぎている…


日本に数々の精神科を専門とする病院があるが、大昔から精神科を専門とし、心神喪失で事件事故を引き起こしつつ不起訴となった患者専門の受け入れ施設となっていたといえば、松沢病院だろう。

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京王線八幡山駅 徒歩約5分の所にある松沢病院は、1264床の病床の中で、一般病床が90床、精神病棟が1174床。建物の7階部分は閉鎖病棟になっている典型的な精神病院である。

明治5年(1872年)に巣鴨に建てられた養老院が元となったこの病院。

元祖老人ホームだったのが、ホームレスの巣窟になり、精神疾患者が集まり、1919年(大正8年)11月に現在の場所に移転した時には、精神疾患専門の病院になっていた。現在は東京都の精神科応急入院指定病院となっている。

設立当時から東大系の医師が多く、揉め事や事件があると学会のみならず東大病院まで巻き込む騒動となるこの病院。過去にどんな事件を巻き起こしたのだろうか。そしてどんな病院なのだろうか。

1:臺(うてな)実験~院内で人体実験~

’50年代に、松沢病院に在籍していた精神科医で東大教授の臺弘が、ロボトミーを専門とする脳神経外科医の廣瀬貞雄(日大教授)に、80人の患者の手術を行わせ、ロボトミーの手術前に生検用の脳組織を切除した。

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この時代、JFKの妹・ローズマリ・ケネディのロボトミー手術が失敗に終わり、脳神経外科におけるロボトミー手術は危険という声があがりはじめていた。

廣瀬は、過去に拒絶的な患者に、インフォームドコンセントを聞く事なく全身麻酔をかけ、無理やりロボトミー手術を行った過去があった。

臺は、この実験で自分の患者からはインフォームドコンセントは貰っていたが、それ以外の患者からは無許可であった事が発覚。患者の年齢は上は31歳だったが、下は11歳で、現在の脳疾患の基準からいうと手術の必要がなかったものが居たという。

同病院の石川清は、東大医学部のインターン時代に、神経病理学の国際権威だった白木博次がロボトミー手術を行うのを見てショックを受けていた。

その上、’73年に、松沢病院の副院長の吉沢哲雄が、臺実験で死亡した患者のカルテを発見。これにより石川は臺を告発。患者からインフォームドコンセントを貰わなかった事、死亡率を考えなかった事、ロボトミーの危険性を軽んじていた事、人体実験である人間性無視という観点で、精神医療界、東大を巻き込んでの闘争は、’90年代半ばまで続いた。

臺の擁護に回ったのが、新医協など共産党医師が多かった事もあり、彼らが亡くなるまで闘争が続いた事はいうまでもないが、諸悪の根源である臺が4年前、100歳まで生きていたのも、皮肉な話でもある。

2:パリ人肉事件

’81年6月11日、パリに留学していた佐川一政は、オランダ人留学生・ルネ・ハルデルベルト(25)をカービンで撃って屍姦した後、解体し写真に撮り、肉を食べた。

女性の遺体をスーツケースに収め、ブリューニュの森の池に棄てようとしている所を目撃され、佐川は逮捕され犯行を自供。だが取調の過程で通訳が誤訳した上、精神鑑定の結果、佐川は心神喪失と判断され、不起訴処分となり、アンリ・コラン精神病院に措置入院となった後、日本に送還された。

日本に送還された後、佐川は松沢病院に収監されるが、副院長の金子嗣郎は、『精神病というよりも人格障害。刑事責任を負うべき』と警察に捜査資料を請求し、裁判にかけるよう要求。

世論もその方向に動いたが、フランスが一度不起訴処分にした者に対して税金をムダ使いしたくなかった為、不起訴となってしまう。これが佐川の人生をますますおかしくした。

15か月の入院後、佐川は、猟奇的犯罪の解説者として、週刊誌に連載を持ち、一時は印税が月に100万も入る程となり、メディアの取材も受け、一本30万円でAVに出演するという信じられない事もやった。
思えば『本庄保険金殺人事件』の犯人も、メディアの取材をバンバン受けて派手だった。

だが、佐川の場合は、いつまでも運が続くわけでもなく、猟奇的殺人犯専門など、注目してくれるのはオカルトマニアのみ。’00年ごろから誰からも相手にされなくなった。

にも関わらず、金使いのあらさがなおらず、白人女性と遊ぶ金の欲しさに、弟のチェロも無断で売り、闇金に手を出した。犯罪者の親というだけで、佐川の父は職を失い、母は精神を病み、佐川の父が亡くなったあと自殺。佐川は両親が亡くなった後は、借金取りに追われていたので親の死に目にもあえなかった。

その佐川だが、今ものうのうと生きているという。

糖尿病が悪化し、脳梗塞となり歩行困難となり、散々迷惑をかけた弟の介護なしでは生きていけない身となりつつ、年金と生活保護をたよりに生きているという。
こんな奴にはらう年金など、無駄ではないだろうか。

ちなみに、’17年10月佐川を題材にしたドキュメンタリー『Caniba』が米国の映画監督により映画化され、NYの映画祭で上映されたが、ブーイングが起きただけでなく途中退場者が続出したという。

3:日航機逆噴射機長は生きている?

副操縦士・石川幸史(事件当時33歳)の『キャプテン!やめてください!』が奇しくも流行語になってしまった、日航機逆噴射事件。
昭和57年(1981)2月、福岡発東京行きDC-8型が着陸寸前、空中で逆噴射を行い空中で機首と機体が真っ二つに割れ、死者24人、重軽傷者149人が出た。

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あの事件の機長・片桐清二(事件当時35)は、統合失調症と診断され、松沢病院に処置入院となった数年後、日航を解雇されたが、現在も葉山で生きている。
日航の年金で、葉山に住み、自動車の免許もとりなおし、買い物にも出かけているというのは、どういう事だろうか。

片桐氏は、大分県生まれ。
時計屋で財を成した両親に育てられ、岡山理科大に進んだが2年で中退したのち、JALに入社。パイロットになり、結婚し娘に恵まれたが、出向先の日本アジア航空で操縦士の学科試験に落ちた時から、妄想癖が始まったと言われている。

片桐が機長になったのは、事件の2年前、同期の半年遅れだったが、その時には『吐き気がする』と周囲に訴えていた。

それからますまず妄想癖は酷くなり『盗聴器がしかけられている』『宇宙から電波が届いて飛行機を動かしている』とわめいていたという。

当時、こんな人間にモスクワまでの国際線のパイロットを任せていたのだから、日航の信用度はいかがなるものかと思うが、彼が休養を得てから国内線に戻った後は、さらに酷くなり『自分は皇室の人間だ』とのたまい、飼っていた犬を殺してたべる行為にまで至ったというのだ。

何故ここまで人格が破壊された機長を日航は放置していたのか。後に、機長の姉が手記を出しているが、機長の姉は手記を出した後、自殺している。

4:女装癖少年若妻惨殺事件

昭和12年6月14日、名古屋の手間に差し掛かった東海道線で、15歳の少年が20歳の主婦をめった刺しにした容疑で捕まった。

少年は金沢市の袈裟衣商の長男だったが窃盗癖があり中学を中退して引きこもっていた。事件数日前、少年は家出して上京し、叔父の家を訪ねたが、叔父は仕事で留守。家には叔母と叔母の妹で20になる美貌の若妻が居たという。

事件前夜、東京中野の叔父の家は、叔父も叔母も外出しており、叔母の妹と少年だけが居た。少年は、四つん這いになり新聞をよんでいる若妻の尻が『コンニャクやカマボコのようにみえた』といい、衝動的に持っていたナイフで刺したというのだ。

海軍少将の令状の若妻が逃げ惑うのを追いかけ、少年は彼女を58箇所もめった刺しにしたという。少年が彼女に恋愛感情がないのは、逮捕された当時の少年の異様さで明らかになった。少年が持っていたのは『婦人と美容』という本。
今でいう所のメイク本やファッション雑誌で、口紅やおしろいに興味があったというのだ。

性同一性障害どころか、精神病すら珍しかった当時、動機を説明しきれない少年に対し、検事は文を書かせた。

『少年は人間が死んだらどこに行くのか、生まれ変わるのか、死に直面した場合の人間の心理状態はどんなものか、生死の境目は、地獄と極楽の違いを確かめたかった』
と殺人を否定しない言動をとったので不起訴処分となり、松沢病院に入院。

退院後、ひとり暮しをしながら受験勉強をしていたが、同じアパートに住むシングルマザーの27歳の女性と無理心中を図ろうとし、自分だけ命を落とし死亡した。

いかだろうか。
松沢病院は、事件の容疑者の受け皿となる前に『措置入院の大切さ』をHPで唱えている。それは相模原事件で、措置入院の判断が軽んじられたのを背景にしているのだろう。

いずれにしても事件が起こってからでは遅すぎるのだ。

高杉晋吾『日本の人体実験 その思想と構造』

幻の滑走路―弟清二と羽田沖墜落事故

松沢病院

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