現在『ゲディ家の身代金』が公開されている。
その身一つで石油王として財産を築いたジャン・ポール・ゲティは、ドケチとして有名だったが、ゲティの女版として有名なのが、ホテル女帝と言われるレオナ・ヘルムズリーだった。
略奪、強欲、傲慢の三文字は当たり前、信じられるのは一人息子と晩年に連れ添ったマルチーズと金の三拍子。若かりし頃のトランプが手腕を認めつつも『こんな強欲な女は見た事ない』と腰をヌカした女だった。
貧困から体一貫で、財を築いた彼女の人生は、地位と金と名誉に執着してから、すべてが狂い始めた事が判る。そのすべてを見ていこう。
貧しい移民の娘からつかみ取った成功の道
レオナは、1920年にNY郊外で帽子職人の娘として生まれ、本名は、リナ・ミンディ・ローゼンタールと言った。
父親はポーランドからのユダヤ系移民で、妻、そして、レオナを含めた3人の娘と、1人の息子を育てるのに精いっぱい。父は体を壊し、レオナが幼い頃に亡くなってしまう。レオナの父は亡くなる前に彼女にこう言った。
『お姫様の様な暮らしが出来るように、祈りなさい。そうすれば苦労しなくて済むから…。』
不動の地位と金と名誉があれば、父親の様な惨めな思いをしなくて済む。レオナの幼心には、そう刻まれた。
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18になると、姓をロバートに変え、モデルや秘書として働き、21の時に弁護士と結婚、息子・ジェイに恵まれた。
だが結婚して10年すると倦怠期が来て、夫婦仲が疎遠になってしまう。そんな時に彼女がバーで出会ったのが、アパレル会社の御曹司だった。御曹司もまた妻と倦怠期を迎えており、W不倫の末、お互いが離婚し、1953年にレオナは再婚した。
御曹司は、レオナの夢を全て叶えてくれた。ジェイを実の息子の様にかわいがり、NYの家政婦付きの邸宅もくれた。だが彼女の夢は、夫である御曹司の父・会社の社長が死んだ事で終わりを告げる。
レオナは、御曹司の父の死後、姑に会社の経営権をレオナの夫である御曹司に譲ればどうかと姑に進言した。その当時、妻は家庭に入り夫の仕事に一切口を出さないのが米国でも当たり前。レオナは家訓に背くとして、追い出される事になった。二度目の離婚だった。
それで、へこたれるレオナではなかった。むしろ、ここからが彼女の人生のスタート地点だった。
離婚後、レオナな不動産業者の受付として働きだした。受付業務に満足する彼女ではない。独学で不動産を勉強し、どの立地条件や家族構成であれば売れるのか、徹底的に研究した。
それだけでなく、どの職業にも通用する幅広い知識と古井麻衣、巧みな話術と強気な姿勢で次々と契約をモノにし、数年後には男性販売員数人を束ねる営業マネージャーに昇格した。
だが彼女の給料は低いまま据え置きされていた。それを不満に思った彼女は社長の所に直談判に行くと、女性だからという理由で一蹴されてしまう。この会社にいても地位も名誉も向上しない、見切った彼女は他の不動産業者に職務経歴書を送り、いい条件を提案してきた所を見比べた。
そして数週間後、ライバル会社の副社長に転職したのだった。その会社は高級ホテルなど商業施設を扱う大型不動産会社とのコネのある所だった。ここから彼女の運命は大きく広がってきた。
二度の離婚から8年、彼女は不動産の要人が集うパーティーに招待された。
そこにいたのは、ハリー・ヘルムズリー(当時60歳)。エンパイアー・ステート・ビルのオーナーで、当時の資産は一兆8000億円と言われていた。
レオナは、ハリーに妻が居ると判りながら、彼の地位も名誉もすべて奪おうとする。それが後に手酷い報復を世間から受けることになるとも知らずに。それは一体どんな方法だったのか?
略奪の末に掴んだプリンセスの座
ハリーの妻は引っ込み思案でパーティーの席には同行しなかったので、ハリーは必ずパーティではダンスの相手を探していた。その事を知っていたレオナは、彼が一番注目している物件のネタをひっさげダンスを申し込んで誘い出した。これに乗らないわけがない。ハリーは頭が良く努力家で聡明な彼女に、自分の会社で働かないかと誘うが、レオナは、あっさりと断った、何故か。
『彼程の富豪で有名人ならば、申し出を断る人間が特別にうつるはず。必ず声をかけてくる』イチかバチかにかけたのだ。その賭けがあたり、ハリーはレオナに年間50万ドル(当時のレートで1億8000万円)の報酬と、NYのホテルの経営権をチラつかせた。それでもレオナは断ろうというそぶりを見せた。ハリーを徹底して屈服させようとしたのだ。ハリーはレオナの術中に落ちた。
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破格の待遇でハリーの会社に迎え入れられてからのレオナは、がむしゃらに働きだし、NYの優良物件を次々押さえ稼働率を上げた。そんな彼女の働きぶりに輝きを見出し、ハリーは、レオナに惹かれていった。だがレオナとしては決定打になるものがなかった。ハリーからのプロポーズである。ハリーは、糟糠の妻を見捨てることはしなかった。
ハリーの会社で働き始めてから2年後、レオナにプロポーズした男性が居るという噂が出てきてハリーはうろたえた。これはしびれを切らしたレオナが知り合いに頼んで流してもらった偽の情報だった。ハリーは、ついに糟糠の妻と別れ、レオナと再婚。レオナ52歳、ハリー63歳だった。
エンパイア・ステート・ビルだけでなく、全米に47のホテル。セントラルパークにある300坪あるホテルのペントハウスを自宅にし、週末にはコネチカットやフロリダにある別荘にプライベートジェットで移動した。
レオナの『お姫様になる』という夢はかなったかにみえた、だが、ここから彼女の転落は始まっていったのだ。
強気の小心者であるが故に犯した、強欲と傲慢
’70年代後半からレオナの人生は陰りを見せ始める。ハリーは、パーティーでもレオナ以外の女性を誘って踊り始める様になった。
幼い頃夢見た、おとぎ話のプリンセスでいられるのはわずか数年しかない、美貌も衰え、今の自分に残されたものいえば『不動産王の妻』という地位しかないという焦りがレオナの中に渦巻きはじめた。
レオナはハリーに、ホテルの経営を任せてほしいと頼み込み、パレスホテルの経営に乗り出した。
当時稼働率2割と赤字だったパレスホテルを、従業員の教育と、広告戦略で、稼働率75%に引き上げ、レオナは『ホテルの女王』として君臨した。
だが彼女の独り勝ちの時代はわずか数年で終わりを告げる。彼女に戦いを挑んできた一人が、『プラザ合意』のあった『プラザホテル』を1983年に買い取ったドナルド・トランプだった。当時30代だったトランプは怖いもの知らずだった。
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純粋にホテル経営や不動産経営を良くしようと思っていたレオナの思いも、’80年代を境に大きく狂い始めていた。
’70年代に疎遠になっていた一人息子ジェイが戻ってきた途端溺愛し、周囲の反対を押し切って子会社の重役というポストを与えた。ジェイは元々心臓に疾患を持っていたのと競争社会の激しい周囲からのストレスに耐えきれず心臓発作で’82年に他界・享年40歳だった。
ジェイが亡くなった事で、肉親への愛情が途切れたレオナは、弟を通じて援助してきた孫たちへの援助をぱったり止めてしまう。
それだけでなく、少しでも気に入らない事があれば従業員に八つ当たりし、次々にクビにし、豪邸を改装して、出来上がりが気にくわなければ費用を踏み倒した。こんな横暴さがいつまでも続くわけではなかった。
レオナは、1986年に、工事費用を踏み倒された業者により脱税で新聞社にリークされた。
これを境に、従業員や関係者から次々脱税や経費の使い込みが明らかになり、国税局に目を付けられ逮捕起訴され裁判沙汰にまでなった。
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脱税した総額は9億に上るというのに、何故こんな余裕な顔をして微笑んでいられるのかと思うだろう。この時彼女は、自分のおかした罪を自覚していなかった。
税金は庶民が払うものと言い、怒りをかった
レオナは優秀な弁護団を雇い、すぐにでも保釈してもらうつもりだったというのだ。だが彼女の思惑ははずれ世間から袋叩きにあってしまった。その決定打となったのは、家政婦はレオナからこう聞いていたと証言したからだ。
『税金は庶民が払うもの』
これでは怒りをかって当然である。
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レオナは所有するすべてのホテルを売却し、刑期を終えて出所してきた3年後にはハリーは87歳で死去。唯一幸いだったのは、裁判が起こった時、ハリーにも罪状があったのだが、ハリーは高齢により認知症が進んでおり何も覚えていなかった事だった。
ハリーは前妻そしてレオナとの間にも子供が居なかった為に遺産はすべてレオナが引き継ぐ事になった、総額は700億円。全盛期に比べかなり減ったとはいえ、晩年は使い込む事もなくレオナは表舞台に出ることもなく引きこもったという。
では遺産の行方はどこに行ったのか。
14億もあげたマルチーズの名前ってそれ?
レオナは、’07年にハリーと同じ87歳でこの世を去った。遺言により遺産のほとんどは慈善団体に寄付される事になったが、驚くべき事は、14億の遺産が彼女の愛犬に相続された事である。
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彼女は弟にマルチーズの面倒を見ることを条件に17億、マルチーズに14億、弟の子供である孫、デヴィット(写真)とウォルターに最高で12億ずつ相続している。だが元をたどれば彼女は晩年にかわがっていたマルチーズを守る為に億単位の金を弟と、弟の息子に分配したことになる。
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そのマルチーズの名前が『トラブル』だったというのだから、信じられない。名前の由来は『すべての争いごとをさけるため』というのだが、もともと争いはレオナが金と地位と名誉に執着し、人々から奪い続けた事が原因で仕返しされたからではないだろうか。
求める前に施せという言葉がある、彼女はその逆を行く人生だった。
計算高くターゲットを絞り自分を売り込み、他人から地位も名誉も奪った末に、50歳以降の人生の成熟期に人生のしっぺがえしを喰らったのである。
私たちがレオナの人生から学ぶべきことはたくさんあるはずだろう。