’12年12月14日、米コネチカット州サンディフック小学校で発生した銃乱射事件。
小学校1年の児童20人を含む26名が死亡、1人が負傷。事件当初20歳だった犯人のアダム・ランザは自殺した事で事件に終止符が打たれた。
©Getty Images
ランザの死後、犯行の動機について様々な憶測が飛んだが決定打となるものは見つからなかった。
事件から6年たった今年、ランザが残したパソコンのデータベースを解析した警察本部は、ランザは400に及ぶ連続殺人、大量殺人のデータベースを事件発生6年前から作成しており、その中から自分と境遇が近いもの、同感出来るものを幾つかピックアップし、組み合わせ、犯行に及んだ事が判明した。
事件当初のランザの犯行の動機は、過保護な母親ナンシーがランザにビデオゲームをやめて、外で同級生と遊ぶ様に注意した所、カっとなって射殺。その後、自分の汚名というべき母校で乱射事件を起こしたと見られていたが。それ以外にも犯行の動機があった事になる。
©MCT via Getty Images
ランザが、連続殺人や大量殺人について本格的に調べ始めたのは、事件の6年前、14の時だった。父・ピーターさんは、ランザが闊達で頭脳明晰な4つ年上の兄・ライアンと折り合いが悪かった事、自閉症と診断された事、その他にも社会不安障害、適応障害と診断され、学校では、いつでも外に出ていける様に通路側の席に目立たない様に座っていた事を明かした。
ピーターさんがランザのパソコンから大量殺人についてもデータを見つけた時は、ピーターさんが離婚で揉めていた時だった。『自分自身も大変な時期だったが、それ以上にアダムが心配だった。あのデータを見た時、いつ殺されてもおかしくないと思った。』その後、ピーターさんはランザの兄ライアンを連れて離婚。今は同州で司書を務める女性と再婚している。
ランザの連続殺人、大量殺人犯についてのスプレッドシートのデータは、1000ページを超えていた上に、警察でもここまで詳しくまとめ、分析することは不可能とされるものだった。
彼のデータは、1786年~2010年までの連続殺人犯や大量殺人犯のもので、殺された人物、使われた銃、日付、時間、場所、犯人、犯人の動機など、17のカテゴリーに分類、分析されていた。
©Getty Images
集計された連続殺人犯、大量殺人犯の数は実に400人になった。
最初のうちは異常な執着で集めた殺人犯のデータだったが、彼はそのうち、そのデータの多さから、犯罪マニアの間であがめられてしまう。それがランザの不幸の始まりだった。現実で誰からも相手にされず、母親からの過干渉を受け圧迫されていたランザは、ネット上にその居場所を求めた。
数か月前、
トリニーダトバコ国籍の22歳の青年が、米フロリダの飛行場からジャンボジェットを盗もうとする事件が起きた。
この事件もランザと同じく薬物中毒者でもなければテロとの関連性はみられなかったが、犯人の青年が重火器や戦闘機マニアだった事から犯人確定につながった。この様に米国ではマニアな好奇心から犯罪につながるケースが後を絶たない。
マニアの間で崇められてもランザの心の隙間は埋まる事がなかったのが、犯罪マニア同志のチャットの記録で今回判明した。
犯罪マニアは連続殺人犯の手口や殺害した人数の多さや猟奇性、未解決かどうかなどに注目するが、ランザはそうではなかった。彼は犯罪者の向こうにある『コンプレックス』や『闇』に注目していた。
ランザが数ある大量殺人者や連続殺人犯の中で関心を寄せたのが、以下の4人だ。
©EPA
’09年3月に起きた米・アラバマ銃乱射事件の犯人・マイケル・マクレンドン(28)は、自宅で母と犬3匹を殺して放火。その後3箇所で銃を乱射し9人を殺害した。
マクレンドンがターゲットにしたのは、クビになった食品加工工場。そこで受けたありえないパワハラが原因だった。
マクレンドンは銃乱射事件を起こす前に、母親の頭を打ち抜き殺害。最愛の母親と犬たちを『火葬』する意味で自宅に炎を放ったという。マクレンドンが自殺している事も、彼が母親を撃ってから犯行に及んだ事もランザの犯行の手口と似ている。
©dailymail.co.uk
次にランザが関心を寄せたのが、’82年4月に韓国で現職警官のウ・ポムゴンが、56人殺し、35人を重軽傷追わせた末に自爆した事件だ。
頭脳明晰で優秀だったが、家が貧しく結婚相手にフラれ、上司からは勤務態度を叱責された末に起こした犯行だった。ランザの事件後、同級生たちが、ランザは勉強は出来るが挙動不審で、モテるタイプではなく影も薄く誰も記憶にないと言われた事から、ウ・ポムゴンに自らを反映させたとみられる。
©dailymail.co.uk
三番目が、チューリッヒに住むフリードリッヒ・ライバッハ(57)がツーク州議会に殴り込みをかけ銃乱射事件を引き起こした末、閣僚3人、議員11人が即死、議員とジャーナリスト15人が負傷した事件だった。
ライバッハは、2年前まで同州でバス運転手をしていたが、議員にケガをさせた事でクビになっていた。ランザは小学校時代、自分の感情を持て余し、教室内で生徒に対し暴力をふるう度に担任につまみ出された時の自分を、この事件に重ね合わせていた。
何よりもランザが惹かれた事件は、’09年のクリスマス前にピッツバーグのフィットネスクラブで3人の客を殺して自殺したフィットネスインストラクターのジョージ・ソディーニだ。犯行に行き着くまでの様子がソディーニ自身のブログに公開された事で、事件規模以上にメディアに拡散された事件だった。
ソディーニは、若い頃はモテたが、人気も落ち、事件が起きる10年ぐらい前は体を鍛えていたにも関わらず彼女もおらず、人生も負け組。ジムに通ってもお祭り騒ぎの人間を見るのに腹を立て犯行に及んだという。
©cbsnews.com
私生活に何も問題のない人や、人間関係に困ってない人からみれば、彼らは少し前に民主党要人に手製の爆弾を送った
シーザ・セヨクと似たようなものだというかもしれない。だが、ランザはそう取らなかった。
ランザは、連続殺人犯のデータを集めるうちに、犯罪者の心の中には、周りから幸福概念を押し付けられた末に、救いようのない闇が溜まったのではないかという結論が出始めていた。
その結論に至りはじめた頃、米国で起きたのが、バージニア工科大の銃乱射事件だった。
“I don’t care about anything. I’m just done with it all(誰がなんと言おうと構うもんか。(用意)はすべて整った)。この事件の半年後、ランザは犯行に及び、自ら命を絶った。ターゲットは自分が救いを求めていた事に対し理解を示そうともしなかった母校だった。
ランザの父・ピーターはGEの税務担当、母ナンシーは幼稚園の教員で、家は全米屈指の裕福な地域にあり、広い庭とプールがあった。
ランザは生まれた時から銃マニアでも犯罪マニアだったわけでもなかった。父ピーターさんによれば幼い頃のランザの夢は農家になる事だったという。家族で行ったニューハンプシャーへの旅行でランザは、広大な土地でのんびりしたいと言っていたという。
そんな彼に綻びが出始めたのが小学校の頃。ランザは52ページの短編『Big Book of Granny』を書き、自分がいかに母親から日ごろから圧迫されているか俯瞰した視点で書いていた。
このエッセイに精神分析学者がいち早く気づけばランザの犯行は食い止められたかもしれないのだ。
©AFP/Getty Images
これだけ残酷な事件が起きているにも関わらず米国での銃規制は進まない、と同時に子供たちの心のケアも置き去りにされているのが現状なのだ。