昭和50~70年代までに東京・大阪に建てられたオフィスビルは、当時最新鋭の建築技術を駆使したビルだった。
’64年の東京五輪を象徴したこれらのオフィスビルは『おやじビル』『シブいビル』と揶揄されるが、2020年の東京五輪をめどに壊される危険性に晒されている。
今もなお昭和のにおいがするこれらのビルを、もう一度探索しようではないか。
1:ニュー新橋ビル(’71年竣工・地階パーキング、5~9階オフィス、10~11階居住区)
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戦後最大の闇市『新橋マーケット』に建てられたビル。新橋マーケットにあったバーや飲食店が、そのまま入った。
アクリスパーテーションがヤニ色の昭和なサ店も健在、上階には雀荘、以後会館があり、ゲーセン、ヘルス、マッサージなど反対側にある汐留と全く違う喧騒を醸し出している。
他にも、鉄道に関するものなら何でも書いとるマニアな店もあり、銀座からすぐそこの一等地ながら、昭和なビルだ。
新橋再開発計画の中に入っており、東京五輪以降は、このビルも壊されてしまう。リーマンの聖地が拝めるのも暫くの間だ。
2:新東京ビルヂング(’65年竣工・地上9階・地下4階・有楽町駅徒歩3分)
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戦後三大景気の1つ『岩戸景気』に乗っかって建てられたビル。
1890~1910年に建てられた三菱財閥の建物を、大成建設と三菱が立て直したビルで、通りを挟んで隣には昭和レトロな面影を残した三菱一望美術館がある。
日興証券の融資で建てたビルのため、SMBC日興証券が今でもテナントで入っている。
3:国際ビル(’64年竣工・地上9階・地下6階・丸の内)
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帝国劇場がテナントに入る事から、帝劇ビルとも呼ばれる。東京五輪以降ツブされる事はないだろうか、歴史に翻弄されたビルの1つだ。
元々1911年に、東京が帝国劇場として建てたこのビル、1930年~40年まではSY松竹劇場が映画館として権利を握り、1940年~64年までは東宝が劇場として権利を握っていた。
’84年までは日本レコード大賞の発表の場所でもあり、現在は、帝国劇場の他は、出光興産がテナントとして4~8階まで入り、出光美術館は9階に入る。地下一階には丸の内タニタ食堂は入っている。
4:新橋駅前ビル(’66年・1号館 地上9階・地下4階・塔屋3階、2号館 地上9階・地下3階・塔屋3階)
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正面玄関に、タヌキのあるビル。
昼間から年季のはいった昭和なリーマンラーメン屋やソバ屋と、老舗料理店で修業してきた料理人が格安で出店するという、飲食店激戦区。リーマンの懐にやさしく美味しい外食が揃っている。
元々狸小路とよばれる飲み屋街だった事もあり、ここを目指して出店してくる若者が多いのもうなずける。
建物自体は、プロフィリットガラスと呼ばれる、緑のガラスが入ったものが採用されており、新橋駅前ビルの建築をきっかけに、ビルの外壁がガラスばりで緑がかったものが多くなった。
東京五輪以降、再開発予定地になっているので、行くのであれば今のうちだ。
5:阪急ターミナルビル(’72年竣工・17階・地下四階・大阪市北区芝田)
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阪急梅田駅直結、JR大阪駅・各種メトロにも徒歩五分以内で行ける上、傍には阪急ホテルの系列がいくつもあるという、美味しい立地にあるビル。
阪急が高架となった時に、昔の店舗が一斉に立ち退いた後、作られた。
5~6階は高級路線の阪急17番街、7~16階はオフィス、17階はレストラン。屋上は夏季はビアガーデンになる。
6:大阪合同庁舎第一号館(’58年 地上八階・大阪市・天満橋)
大阪の官公庁は合同庁舎という形をとり、一つの建物の中に、複数の部署を纏めていることがある。
この庁舎には、農政、経済産業、通信局が入るが、別館には破産宣告を受けた人の名前が毎月張り出してある。ちなみに一般の人であれば、ラジオのアマチュア局を開局する場合、通信局の許可が必要になるので、ここに行く事もあるかもしれない。
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建物や設備が古く、昼間入っても暗い。筆者が建設関係の会社にいた時、これらの合同庁舎を回る機会があったのだが、ダントツのボロさを誇ったのが一号館だった。
只今大阪の合同庁舎は、6号館の新築業者入札が行われているのだが、大阪は建物が余っているのだから活用すればいいと思う。
7:東京交通会館(’65年竣工・有楽町・地上15階 地下1階)
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三菱傘下のもと第三セクターが建てたビルディング。昭和の時代ならビルの中で『遊べるビル』として作られた。
最上階の15階には365展望のレストランがあり、これを開業の売りにしたのと、新幹線が開業してからは、3Fの屋上庭園『有楽町コリーヌ』から東海道新幹線が拝める事、海外旅行が身近になってからは2階にパスポートセンターも設置して、交通に関わる便利な場所にした。
そこから発展し、今ではビジネスの便利な場所になっている。
1階はイベント会場、2F・1F・ B1Fは画廊となっていて、12F・3Fは目的に応じた展示会場、 12F・3F・ B2Fは150名~20名まで人数別、目的別に応じて使用できる会議室がある。
テナントも、なかなか濃ゆい。
B1から1階は、阪神百貨店梅田本店正面に、かつて並んでいた『アリバイ横丁』かと思うような物産展が軒を連ねている。
中華料理店『交通飯店』の”いかにも焼き飯”なチャーハンには、平日昼時になると店の前に行列が出来ている。
こんな便利な場所に、色々揃っている所は他にはないので、ツブしてしまうのは惜しいのだ。
8:大手町駅前ビルヂング(’58年竣工・大手町)
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『ターミナル+建設会社保有+空調完備』がナウいオフィスビルと言われた先がけである。その反面『ダサっ!』な一面も引き継いでいる。
ビルの屋上に『大手町観音』があり、毎年、ビルの建った4月17日に、入館者の厄払いをしている。
ビジネステナントは三菱地所、東京海上、(株)日本ビルディングなど土建に関わるものの他、(株)カクタス航空、日通旅行など旅行会社もある。
オヤジビルを象徴するかの様に、宝くじ売り場、ATM、金券ショップ、クリーニング、クリニック、ドラッグストア、床屋、すし屋が、軒を連ね、あまりにも店舗数が多いために、大手町ビル商店街なるもので、管理している。
店のテナントの多さは、ビルの中にスタバが2つもある事で判る。
9:第五長谷ビル(’72年竣工・地上9階・地下2階・大阪市北区梅田一丁目)
京都烏丸通に面しているオフィステナントビル。京都のメインストリートにあるビジネスビルも、ここ十年来で建て替えが進み東京五輪以前の建物を見なくなった。
リクルートや東進などがテナントに入るこのビル、立地の良さからテナントの開きも一階だけという事が多いが、一階のテナントが常に『つるやゴルフ』である。店内の照明は暗い。
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どこの階もそうなんだろうかとうがった見方をしてしまいそうだ。
ちなみにこの界隈では、スタバのリザーブ店、ディーン&デルーカ、ミニシアター、コワーキングオフィスがあり、銀行街でもある。
チョっと浮いてないかどうか、心配になってしまう。
10:大阪駅前ビル(’70年第一ビル、’76年第二ビル、’79年第三ビル、’81年第四ビル)
大阪駅前の一等地にありながら『シブいビル』全ての条件を満たすのが、『大阪駅前ビル』だ。昭和の香りが未だに抜けない。
大阪駅前の闇市後で部落跡地だが、大阪駅前開発業者による建築され、大林組、鴻池組をはじめとした様々な土建会社が建築に関わった。
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ビルを建てた経緯上、等価交換で出店している区分所有者が居る為、明らかに儲かっていないのに、営業を続けているおかしな店も存在する。レコード屋、古本屋、八百屋がその典型だ。
’90年代まで殆どのビルの地下一階がゲーセンだったが、今ではなりを潜め、第四ビルに1つ、第三、第二に2つずつあるだけである。ゲーセンの跡地には、タリーズ、サイゼリア、コンビニが進出している。
昔から変わらないのが、金券ショップの激戦区である事で、ネットで買える様になった今でも、ここに通う人が多い。
このビルの笑えるポイントは、正月三が日、深夜~翌朝7時までは全てのテナントが閉まる事だ。その為、コンビニも事実上24時間営業ではない。ネカフェとカラオケが出店しないのは、その為である。
’12年に、一度ビルの取り壊しの話が出たが、運営側が否定した。
これらのビルは、日本の中流家庭を支えた、古き良きオフィスビルだ。
他にも大阪であれば、新大阪、曽根崎新地、淀屋橋を探せば、昭和な『シブいビル』にブチあたるかもしれない。
シブいビルは、今日もどこかで、ひっそりと姿を消している。
そうなる前に、探索するのもいいだろう。