戦場で出逢った若者と恋に落ちた女性が離れ離れになり、その後再会するという映画の様な本当の話がある。
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’19年6月6日は、ノルマンディー上陸作戦75周年記念式典が英国で行われた。そこで再会したのは、75年前に運命の出逢いを果たした男女だった。お互いの伴侶を亡くした後に再開した2人を再び結び付けたのは何だったのか。
ノルマンディー上陸作戦が引き合わせた男女
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運命の再会を果たしたのは、米国に住む退役軍人で、工務店を営んでいた、KT・ロビンスさん(97)とフランス在住の主婦のジャニーン・ピアーソンさん(92)だ。
2人はフランス人ジャーナリストと、米国退役軍人のつてを辿り、ノルマンディー上陸作戦の記念式典で再会する事が出来た。
『もう逢えないと思っていた。彼女は戦争で死んでしまったかもしれないし、仮に生きていたとしても、僕と同じ様に長生きしているはずがないと何度も思ったよ。』ロビンスさんはFrance2の取材に対し、こう語った。
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ジャニーンさんも『あの頃から、ずっと諦めないで英語を勉強しつづけていたのは、彼に逢うためだったと確信したわ。』と喜び一杯の表情でインタビューに答えていた。
2人が出逢ったのは、1944年、ノルマンディー上陸作戦決行の年。ロビンスさんは1940年に歩兵部隊に志願、ノルマンディーに派遣された1人だった。
ノルマンディー上陸作戦の歩兵部隊は、米英加合わせて5つ。ロビンスさんが所属していたのは一番西から上陸した『ユタ(米軍第4歩兵師団コリンズ将軍指揮)』だった。
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同じ米軍の第一歩兵部隊(オハマ)が大量の犠牲者を出したのに対し、ロビンスさんが所属した第四歩兵部隊(ユタ)は幸いにも、死傷者数は197名と最小限の犠牲で済み、そのまま進撃を続け、空挺部隊と合流することになった。
ロビンスさんと、ジャニーンさんが出逢ったのは、ロビンスさんがノルマンディー上陸作戦終了後。空挺部隊と合流する前のひと時だった。
戦場が終わっても米国に戻らないでと思っていた
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ロビンスさんとジャニーンさんが出逢ったのは、フランス北東部の鉄鋼で栄えた田舎町・ブリエ(現在・ヴァル・ド・ブリエ(Val de Briey)だった。
ブリエはルクセンブルグやベルギーと国境を接しており、ここを超えれば空挺部隊と合流する事が出来た。ロビンスさんが所属する歩兵部隊はこの田舎町で、一休みし、空挺部隊と合流する手はずを整えていた。
ロビンスさんは、洗濯を頼もうと地域に住む人を探していた所、引き受けてくれたのがジャニーンさんとジャニーンさんの母親だった。故郷を離れ4年。ロビンスさん24歳、ジャニーンさん18歳。恋が芽生えるのも不思議ではなかった。
あっという間に2人は心を通わせ、写真を交換し、共に語り合った。だが運命というものは皮肉なもの。2カ月後に、ロビンスさんは空挺部隊と合流するためにブリエを後にする。
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『僕は、あの時、きっと戻ってくる。でも(大きな戦争だから)僕の身になにが起きるか判らないよ、と言ったのは覚えているんだ。』とロビンスさんは語った。命は無事でも片足が吹っ飛んでいるかもしれない。そんな姿で彼女の前に現れたら哀しませる事になるだろう、そう考えていたという。
一方ジャニーンさんはこう思っていた『彼をのせた戦車が去っていくのを泣きながらずっと見ていたわ、この戦争が終わっても米国に戻らないでって。』ジャニーンさんの思いの方が強かったのだろうか。彼女は終戦前の1945年から、英語を習い始め、いつかロビンスさんに逢えることを楽しみにしていた。
結婚した後も、ノルマンディーの事は忘れなかった
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ロビンスさんは、ノルマンディー上陸作戦後生き残り、1945年の終戦後帰国。リリアンさんと結婚し軍を退役した後、工務店を営み、’15年にリリアンさんは92歳でなくなった。リリアンさんはジャニーンさんと同い年。心のどこかでジャニーンさんを忘れていなかったのだろう。
ジャニーンさんもまた、ロビンスさんを忘れられなかったが、1949年に結婚。5児の母となったが、夫を老衰で亡くした。
ロビンスさんは、妻亡きあと、部屋の整理をしていた所ジャニーンさんの写真を見つけ、フランス人ジャーナリストや退役軍人のつてを辿り、彼女がまだ生きているかどうか調べて貰ったという。
ジャニーンさんに子供が5人いたことが幸いし、彼女の家族に連絡が取れた事から、ジャニーンさんがまだ生きている事が確認できたのは、’19年の春、そして2人は運命の再会を果たした。
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『貴方を忘れた事はひとときもなかったわ』運命の再会を果たしたジャニーンさんは、ロビンスさんの手を握りしめこう語った。
『もちろんさ、今でも君を愛しているよ。』