【ビフォーアフター】エラ・フィッツジェラルドと共演?トルーマン大統領の前で演奏?現在106歳の現役ドラマーおばあちゃん!


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『おいらは、ドラマ~』は石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』だが、海を渡ってた米国にはリアル『嵐を呼ぶドラマー』が居る。御年106歳にして現役のドラマー・ヴィオラスミスさんだ。

現在、米カリフォルニア州
米カリフォルニア州コスタメサで、国内最年長のプロのビックバンド『Forever Young Band』で活躍中の彼女の経歴がリアルどセレブな事は、米国の音楽業界では知られているが、日本ではほとんど知られていない。


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ヴィオラさんは、米ウィスコンシン州・マウントカルバニーで、1912年11月29日産まれ。’19年現在106歳だ。R&Bの創始者チャック・ベリーが、1926年10月26日産まれなのだから、チャック・ベリーより一回り以上年上になる。ナイトクラブを営む父親の元に生まれた。

兄弟姉妹は、ヴィオラさんを含め、8人の娘、2人の息子で、父親は子供全員にピアノを習わせ、早くから音楽に親しませていたという。『今から思えば子供たちを店の余興で出そうとしてたのかもしれないわよね。』ヴィオラさんは当時の事をそう語る。ヴィオラさんのミュージシャン人生は、マイケル・ジャクソンに置けるジャクソン5の様に、父親にプロモートされる形で音楽業界に足を踏み入れる事になった。

ヴィオラさんの父親は、娘たちに音楽の才能を見出し、ピアノ以外の楽器も習わせビックバンドにしたのだ。
長女のイレーヌにはトロンボーン、次女のエルマにはヴィブラフォン、三女のエドウィナにはトランペット、四女のヴィオラにはドラム、五女のライラにはベース、六女のロレッタにはピアノ、七女のサリーにはバスサックス、八女のミルドレッドにはサキソホンという様にだ。


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父親は娘たちが夏休みに入ると『Smith Sisters Orchestra』と名乗らせ、映画館の余興の演奏をさせる為に連れ出し、パフォーマンスをさせたという。時には学業が重なっても娘たちに演奏を優先させたのだから、現在でいう映画の子役に近い。

地元のアマチュアバンドとしての知名度に飽き足りなくなったヴィオラさんの父親は、ヴィオラさんと末娘でサキソフォン担当のミルドレットさんをラジオ番組に出演させる。

’30年代に米国でラジオ放映されていたタレント発掘番組『Major Bowes Amateur Hours』に、ヴィオラさんとミルドレットさんを出演させた。これによりスミス家のビックバンドの知名度は国内に広まり、ヴィオラとミルドレットは、その後ガールズビックバンド『The Coquettes』を結成。スウィングジャズを主に演奏し、戦地に行かなかった有名なジャズミュージシャンともコラボした。

このバンドは、’42年にミルドレットが結婚するまで続いたが、ここでの活躍がヴィオラの将来のキャリアを決定づける事になる。

その後ヴィオラはNYに移り、男性のミュージシャンが欧州戦線から帰還して来ない中で、自分の活躍の場を広げていった。

NY移住前に、ヴィオラはエラ・フィッツジェラルドや、チック・ウェブなどの有名なミュージシャンとコラボし、人間としての見解を広めていく中で、様々な問題にぶち当たっていた。ジャズ雑誌『DownBeat』の取材を受けた時も、音楽業界で男性と女性で優劣をつける事は間違っている、女性も男性と同様にパフォーマンス出来るはずだと発言。1940年にはビルボード誌の表紙を飾った。


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こうした事もあり、前後は一時期、NBC交響楽団の一員として活躍し、1949年には自身のバンドを率いて、トルーマン大統領の前で演奏する事もあった。


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今でもそうだが、ミュージシャンは、酒、かけ事、ドラッグ、金銭トラブルで身を持ち崩す事が多い。ヴィオラは、どんな華やかな業界に居たとしても、これらの事で身を持ち崩す事はなかった。それだけでなく売れれば売れる程、健康面に気を配っていた。

『私って本当は大酒のみなのよ。父親はディナーの度にワインを開けて、子供の私たちにもふるまっていたから、お酒があって当たり前の生活を送っていたわ。でもお酒に飲まれるようでは駄目ね。』そんな彼女がたしなむのは赤ワイン。、しかも一日一杯、リラックスして味わうのだという。


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『以前、ツアーで飛行機で移動する時に、私の横に座っていた人が、ウィスキーをストレートで飲んでいたの。私のワインを見て『赤ワインをたしなんで飲んでいる人は長生きするんですよ。』って。私がその証拠じゃない。だって100年以上も生きてるのだから。』ちなみに彼女の100歳の写真が上のビフォーアフターの写真。真っ赤なドラムに、真っ赤な半そでのシャツ。元気いっぱい。欧米の人は彫りの深い顔なので、老けるのもは早いだろうが、これには参った。


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彼女は、ついこの間まで米国女性ドラマーの中で一番のハイハット早打ちと言われていた。年齢にも関わらず手首がしなやかで、練習量が並ではない事が伺える。そんな彼女の陰での努力の積み重ねには、プロアマ問わず、国内外からリスペクトの声が上がっている。

This Woman Started Drumming In 1920 And She Still Has What It Takes At The Age Of 106

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