歴史上には、私たちが理解出来ない理由で踊る民族がいる。その背景を見て行こう。
10:セマー
13世紀にトルコの古都コンヤで誕生した、メレヴィー教団の修道僧による旋回舞踊はセマーと呼ばれる。
メレヴィーは、1273年にアフガンで生まれモンゴルに移住した神秘主義者で詩人のルーミーにより創立された。
彼はイスラム神秘主義・スーフィーに傾倒し、セマーを『ぐるぐると回り続け、魂を松明とし炎となり燃え上がる事により神と一体になる事を目差す儀式』と呼んでいる。
9:ファマディアナ
マダカスカルは世界で4番目に広い面積を持つ島ながら、国民の9割が1日2ドル以下で暮らし、大臣や王室関係だけが桁外れの贅沢をする格差ある所だ。
それ故、この国では庶民は先祖を敬う意識が高く、親族で亡くなった人がいれば、ファマディアナ(遺体再埋葬の儀式)を行い、亡くなった人が天国で先祖になれるよう、下界の人間が踊って祈るというものがある。
彼らは親族が亡くなると一定期間、親族の遺体を白い布で包み先祖(ラザナ)になるまで、ファマディアナをくりかえし布を取替え、遺体の前で亡くなった先祖の前で踊るのだというのだが、遺体は腐らないのだろうか。
8:ダンシングマニア
(C)Pieter Brueghel the Elder
欧州で貧困やカルトが流行ると、突然踊りだし死ぬまで踊り続ける人が現れ、それが感染症の様に広まる現象。
古くは7世紀から見られ、歴史書に残っているものとしては、13世紀に2件あり、1237年にハーメルンの笛吹き男の様に、子供たちがエアフルトからアルンシュタットまで踊ってはねて移動したというものと、1278年にドイツの橋の上で200人以上の人が踊った為に橋が破壊され、生き残った人がSt。Vitus教会で治療を受けたというものがある。
1344年にはドイツ・アーヘンで踊りだした一人の女性の周辺から踊りだす人が増え始め、ケルン、ルクセンブルクと踊りだす人が出没。彼、彼女らは絶食し死ぬまで踊り続けた。1518年、ストラブールでは400人が踊りだし、心臓発作で死亡。
現実逃避の為に踊る事は死を招く実例だ。
7:ウェンディゴ憑き
(C)Ancient Origin
北米やカナダの先住民族に信仰されているアルゴンギン神話の中には、ウェンディゴ憑きというものが現れる。
インディアンの都会化により廃れた信仰だが、ウェンディゴ憑きというのは、先住民族の中でもクリー族に伝えられていて、人喰いに取り憑かれたものたちを指す。先住民族の間では、たとえ食べ物がない間でも、節制と民族間の協調の戒めとして脅威の対象として語継がれているのがウェンディゴ憑きだ。
ウェンディゴ憑きになった人間は、体は墓から抜けて出てきた様な骨ばった飢えた状態で、体だけが大きく、目が出ているといわれ、彼らの間は吸血鬼もその一種に入る。ウェンディゴ憑きを退治するには心臓を炎で焼き、子孫を作らないようにするといわれているあたり、怖い話だ。
6:タランテラ
イタリア、ナポリに伝わる3/8もしくは、6/8の速いテンポで、マンドリンやタンバリンに合わせて踊る民族舞踊。
タラントという街が発祥とされていて大抵はグループで踊る。最初は右回りで踊りはじめるが、曲の区切りから左回りになる。
5:モリスダンス
イングランドの民族舞踊はチェックのスカートのアレかと思う人もいるかもしれないが、アレはスコットランド。
正確には、モリスダンスが英国の民族舞踊で16世紀には既にあったと言われ、大戦中に廃れかかったが、’70年代、アシュリー・ハッチングスがモリスダンスをロックにアレンジしたアルバムをリリースした事から見直しがされる様になった。
主流となっているのは、コッツウォルズスタイル。その他にもボーダー、ラッパー、ノースウェスト、モリーなど、衣装や参加する人数の微妙な違いにより分別される。
4:カチーナダンス
グランドキャニオンの国立公園の中のフォーコナーズに住む先住民族ホピ族の雨乞いの儀式がカチーナダンス。
あまりにも不毛な土地だったために西部開拓の白人でさえも見捨てたこの土地を2000年以上もホピ族の人間は守り続けていた。
雨乞いの儀式は12月に行われ、男女共々独特のお面を被り、一晩中踊り続けるという。
3:剣舞
(C)US Libraly of Congress
パキスタンやネパールでは、こんな感じで結婚披露宴の余興として、インドではストリートパフォーマンス扱いになっているのが剣舞。
元々は中国から武術を極める意味で作られ、各国に伝来したものなのだが、日本における剣舞はそこにさらに、歌舞伎などの舞台芸能の意味合いも含んでいる上、中近東諸国の様にブっとんではいない。
2:カンドンブレ
ブラジルの民間信仰カンドンブレは、カトリックの強制改宗に伴い独特の発展をした。
ブラジル国内に2%信仰者がいるカンドンブレの儀式は、アタハギと呼ばれるパーカッションにあわせ聖職者がその身に神を憑依させる踊りである。
ハイチのブードゥ教はカンドンブレの一種という。
1:ザロンゴの死のダンス
(C)Ary Sheffer
1803年、ギリシャ・イピロスは、トルコ、ブルガリア軍の侵攻を受け壊滅の危機に晒されていた。
最後の砦ザロンゴを守るスーフィー軍の男たちは殺され、60人の残された女性たちはザロンゴの断崖絶壁で民族舞踊を踊った後、飛び降り自殺。今も慰霊碑が立っている。
世界各地には、謎を呼ぶ舞踊、ダンスがある。その歴史を紐解いてみると面白い。