人間いつ何処で死ぬかは選べない。これから紹介する写真は、まさか自分が死ぬと思ってなかった人々が、死ぬ前に撮った写真だ。それも彼らは『生きて帰ってくる気』だというのだから、運命は判らない。
1:セントルイス市長ウィリアム・D・ベッカー(左奥)
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1943年8月1日、 CG-4グライダーの公開デモ飛行に、地元有力者7人と共に搭乗。しかし飛行途中に翼が壊れ、市長、パイロット、有力者を含む10人全員が死亡した。
これは飛び立つ前の記念撮影らしいが、こんな目に遭うと判っていたら乗らないだろう。
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ちなみに、翼が折れた原因は、ボルトが外れた事。外れた瞬間高度2000メートル上空から叩きつけられたらしい。
2:エボラ出血熱に感染した看護婦
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エボラ出血熱が初めて発見されたのは、1976年6月。
スーダン(現在の南スーダン)のヌダラという町で、倉庫番をしていた男性が高熱を出し、鼻や口から出血し死亡した。
彼の近くに居た男性も同じ病を発症し、医療器具にウィルスがうつり集団感染となった。
この写真は、院内の看護婦Mayinga N’Sekaが患者からエボラ出血熱のウィルスに罹患し、他の看護婦が治療にあたる姿である。
ベッドに横たわるMayingaさんは、この写真におさめられた翌日死亡した。
3:コンコルド墜落事故
エールフランスが所有する音速旅客機『コンコルド』が起こした最初で最後の事故。乗っていた人間は不運としか言いようがない。
シャルル・ドゴール空港から離陸したコンコルドは、空港から南西約9,500m離れたヴァル=ドワーズ県ゴネスにあったオテルイッシモの別館レストランの敷地の北側に墜落した。
4590便として運行されていたコンコルドには離陸前点検で左翼内側の第2エンジンに異常を発し、離陸中に2番タイヤが破裂。
空気圧と遠心力で吹き飛んだタイヤの破片が、主翼下面の5番燃料タンク外壁に衝突。燃料が燃え発火し、アルミ製のボディは溶け出し、主翼が脱落した事が墜落の原因だった。
が、エールフランスはタイヤがパンクした原因が、コンコルドの5分前に離陸したコンチネンタル航空の旅客機DC-10の第二エンジンから落ちた部品が、タイヤに刺さった事が要因だとして、コンチネンタル航空に刑事訴訟を起こした。
4590便には、20年貯金をためて旅行に行った人も乗っていて、激突されたホテル側には、勤務2日目のコンシェルジュが居たという悲惨な事故だった。
事故機は、エール・フランスに引き渡された7番目の機体で、’75年から就航していて、9000時間飛び続けていた。アラン・ドロン主演の『エアポート’80』で使用されたのはこの機体である。
この事故を経て、フランスはコンコルドの運行を’03年に停止する事となった。
4:ポール・ウォーカーのラストレース
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『ワイルド・スピードシリーズ』と言えばポール・ウォーカー。
私生活でもカーキチで有名で、GT-Rにポルシェと、スポーツカーを持っていた彼が事故死したのは、40を過ぎた時。
まさか事故死すると思っていなかった彼のこれがラストレースになってしまった写真。
5:コロンバイン高校銃乱射事件の犠牲者は?
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『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、マイケル・ムーアの映画だが、題材になったコロンバイン高校銃乱射事件で犠牲になったウィリアム・デイブ・サンダーズさんは高校教師。
彼は、銃乱射事件が起こる前にとっさの判断でカフェテリアに行き、100人近い生徒を救い、自ら犠牲になった。
6:パシフィック・サウスウエスト航空(PSA)182便墜落事故
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1978年9月25日、サンディエゴにて、着陸進入中のボーイング727-214とセスナ 172が空中衝突し、両機とも墜落。乗員乗客144人死亡という大惨事だった。
原因は、ボーイングのパイロットの管制塔からの指令の聞き間違いと、目視間違いによるもの。
この事故以降、米国ではサンディエゴ国際空港ではなく、マクレラン・パロマー空港で小型機のパイロットを練習させるように通達を行った。またこの事故はパイロットエラーによって起こった事故の典型例であるため、飛行訓練では必ず教えられる。
米国ではこの事故以降、全ての航空機に空中衝突防止装置(TCAS)の設置が義務付けられるようになっている。
7:イアン・カーティス、娘と死の間際
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『ジョイ・ディヴィジョン』のヴォーカル、イアン・カーティスが、36歳の若さで自殺するまでの生涯は『control』として映画化された。
彼が’70年代に、娘ナタリーとうつっている写真。だが、この写真の5日後彼は、自殺してしまう。
8:パトリック・スウェイジ、すい臓がんで闘病中だった
『ダーティーダンシング』、『ハートブルー』など数々の名作を残したパトリック・スウェイジ。
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しなやかなイメージは、年重ねても変わらなかったが、’08年、末期のすい臓がんである事を公表。’09年にガンによる合併症でこの世を去った。メディアに出た最後の写真が、この写真になる。
いかがだろうか。
人はいつ死ぬか選べない。だからこそ、その一瞬一瞬を大事に生きようとするが、それがなかなか出来ないのだから不思議なものである。
Final Photos Taken Before Death