麻薬王、経済マフィア、八百長、闇の世界を操る大物たち


麻薬カルテルなど、違法ビジネスで財をなし、トップにのぼりつめる者には、どの様な共通点があるのだろうか。

麻薬王の生き様を辿ると、彼らは、教育を受ける機会がなく、金を稼ぐ為には、麻薬しかなかったという、生きる為の選択肢の狭さが伺える。

つまり教育を受け、人生の羅針盤となるメンターがいれば、彼らは表舞台で世の中を動かす人間になっていただろう。

その一方で表舞台で世の中を動かす立場でありがなら、闇の力を借りた人間もいる。
今回はこれらの人々を紹介していきたい。

ジョセフ・ケネディ


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言わずと知れたJFKの父親である。表舞台に立ちながら進んで闇の力を借りた人物だろう。

ハーバードを卒業後、金融業につき、株式市場を利用して富を築いたケネディは、稼いだ金を元手に、様々なビジネスを起こした。

『トップハット』『市民ケーン』『素晴らしき哉人生』を配給した映画会社RKOの設立。ルーズベルト大統領の長男とタッグを組んでジンとスコッチの輸入を手掛けるなど、流行りがあればすぐに手を付け、その才能は息子たちに受け継がれた。

その一方で優位に立つためであれば、手段を選ばず、その行動が顕著に現れたのは、政財界に進出してからだった。
JFKの選挙で、サム・ジアンカーナとの関わりがあった事は、一例だろう。

’61年に脳梗塞を起こし、’69年に他界。資産は400億あったと言われている。

マイヤー・ランスキー

『ゴット・ファーザーPartⅡ』でアル・パチーノ演じるマイケル・コルネオーネが、
フランキーを殺害したのはお前かと、ユダヤ系組織のハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)を嗜めるシーンがある。

ロスは『私の仲間、モ・グリーンが撃たれた時、私は撃たれた理由をきかなかった。それがこの世界のルールだ。』とマイケルに言う。
モ・グリーンのモデルは、ベガスにカジノを築いたバグシー・シーゲル、ハイマン・ロスのモデルは、これから紹介するマイヤー・ランスキーだ。


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1910年代には、後にコーザ・ノストラのボスとなる、ラッキー・ルチアーノと友人関係にあったというランスキーは、禁酒法時代にバグシーに出逢い、ベガスをカジノの街にする。それから彼はマフィアの金庫番という役割を果たしてきた。

マネーロンダリングの創始者として知られており、戦前からマフィアのヤミ献金を、マイアミ、キューバ、バハマに投資会社を設立する事で資金洗浄していた。

彼にFBIの捜査の手が及び始めたのは’60年代。マネーロンダリングの資金洗浄先を、ホテルやゴルフ場に向けた事から資金の流れが表に出て、’70年にイスラエルに逃亡した。

400億相当の資産を持っていたと言われているが、本人名義のものは、わずか57000ドル。『資産を持たず、資産を持った部下と上司を持った男』と言われていた。

アンソニー・サレルノ

葉巻とソフト帽と太った体がトレードマークのサレルノは『ファットトニー』と呼ばれた。


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ラッキー・ルチアーノが初代ボスだった『ジェノベーゼ・ファミリー』で’70年代~’80年代まで幹部を務めていた。

NYイーストハーレムで生まれ育ち、ナンバース、高利貸し、ショバ代の取り立てで金儲けをしていたファットトニーは、’81年にファミリーのボス、フランク・ティエリが死亡した事から、最高責任者となる。

だがこれは’70年代~’80年代にファミリーの実験を影で握っていたフィリップ・ロンバルドに捜査の手が及ぶのを防ぐためだった。

’86年、ファットトニーはRICO法(組織犯罪法)で懲役100年の実刑判決を喰らい、獄中で’92年に糖尿病の悪化で死亡した。総資産額は600億円と言われている。

グリセリク・ブランコ

1943年にコロンビアに生まれたグリセリクは、DVを繰り返すシングルマザーの母に育てられ14の時に家を出てから犯罪と隣り合わせの人生を送ってきた。


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20の時の初婚相手はドラックディーラーで、30の時の再婚相手との生活を支える為に、
ドラックディーラーにならざるを得なかった。

11の時には身代金誘拐事件の主犯となる過去を持つグリセリクは犯罪のプロで、子供が4人居るが、そのうちの3人は麻薬抗争で死亡している。

末息子だけは、まっとうな道に進ませようと、遠縁の親族に預けたが、末息子も’12年に麻薬取引で逮捕された。

ブラックウィドウと恐れられ、500億稼ぎだした女ディーラーの最後はあっけなかった。
末息子の逮捕を知った後、母国コロンビアでバイクにはねられて死亡したのである。

石井隆匡(進)

佐川急便事件の黒幕と言われた東京稲川会の元会長である。


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海軍エリート出身の経済ヤクザとして、経済界にコネを作る手腕は、政治家や投資家も蒼くなる程だった。

’80年代から銀行、証券会社の乗っ取りに力を入れ始め、’86年には岸信介に頼まれ、平和相互銀行を裏切り、三井住友に合併させた。
平和相互銀行が持っていた岩間カントリークラブの所有権をエサに、佐川急便からヤミ資金を引き出した。

その後、野村、日興証券を窓口に東急の株を買いあさり、事態が衆議院議員の金丸氏を巻き込んだ事から、佐川急便事件という一大汚職事件に繋がった。
’90年、病気を理由に引退、カタギに戻ったが、翌年病死した。総資産は1500億円と言われている。

ホアキン・グスマン(エル・チャポ)

メキシコの麻薬カルテル『シナロア・カルテル』の最高幹部で、DEA(米国麻薬取締局)は『パブロ・エスコバルに匹敵にする麻薬界のゴットファーザー』と称している。


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エル・チャポはシナロアの貧しい農家に生まれ、学校から100km離れた僻地に住んでいたので教育を受ける事もなかった。

父は女とギャンブルで身を持ち崩し、幼いエル・チャポは家族を養う為に、マリファナを売り歩いていた事から、麻薬の道がはじまっていた。

叔父と暮らした事がきっかけで、麻薬密売組織に本格的に関わる様になり、’70年代には、シナロア・カルテル傘下の組織で働く様になった。

摘発されるリスクを避けるため、鉄道など陸路で麻薬を運ぶ事でも知られていた。

1000億円も稼いだにも関わらず、脱獄にかかった費用もケタ外れである。
’93年に殺人と麻薬取引で刑務所に入れられた時は、看守に賄賂を配り、洗濯物カートに紛れて脱獄。この為に3億も使っていた。

’15年の脱獄は、もっと派手で、地下トンネルまで掘っていた。この時かかった費用は60億と言われている。

そして昨年1月また捕まっているのだから、三度目の正直で脱獄の為に、何億使うのだろうか。

アマド・アリージョ・フェンテス

エル・チャポと敵対するメキシコの麻薬カルテル、ファレス・カルテルの最高幹部。
麻薬の運び方から、金の使い方までエル・チャポと全く違う。


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プライベートジェットで堂々とメキシコから米国に麻薬を持ち込んでいた。
カルテルの幹部になった途端、金回りがよくなり、豪邸を立てた事から、敵対カルテルだけでなく、カルテルの内部からも、批判の声があがっていた。

DEAに目をつけられる事を恐れて、アマドは整形手術を受けるが、手術が失敗し死亡。
手術を行った医師2名は、殺され、バラバラにされた挙句、コンクリート詰めにされた。

アマド亡き後は、息子のセンテに実権がうつったが、’09年にセンテが逮捕されるまで、
周囲の人間はセンテがカルテルの人間と思わなかった程、彼は一般市民のようだったという。

パブロ・エスコバル

’80年代に、米国の8割の麻薬市場を占めていたのが、メデシン・カルテルの最高責任者パブロ・エスコバルである。


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その実態は諸外国に対し近年まで明らかになる事はなく、実際にメデシン・カルテルに潜入し、生還したロバート・メイザーの回顧録を元にした『潜入者』や

カルテルに潜入したものの、運び屋となり、深入りしすぎた為に、カルテルに殺される
バリー・シールをトム・クルーズが演じた事で、実態が浮き彫りになってきた。

エスコバルは、麻薬で得た金を貧民層の住宅建築や公共福祉に生かし、敷地内に娯楽施設を作る事で無学だったメデシン市民を味方につけた。

その一方で私設軍隊を率いて、政府には金か銃かと脅し、屈しないものは容赦なく殺した。幾人もの潜入捜査官が死に追いやられる中、エスコバルが条件付きで降伏に応じたのは’91年。

米国への身柄引渡忌避を条件にメデシン市内に自分で建てた施設刑務所に入所する。
だがそこは刑務所とは名ばかりで、エスコバルは幹部を通じてカルテルに命令を出す事も出来れば娯楽施設もあるという、とんでもないものだった。

彼の命運が尽きたのは、それから数年後。
刑務所内でメデシンカルテルの幹部が、他の囚人たちの前で、エスコバルにタメ口をきいた事が原因で、エスコバルが幹部を殺した事が原因とされる。

あっけない命運のつき方だが、エスコバルは総額2兆5000万稼いだと言われている。

いかがだろうか?
生き延びる為に社会悪に染まった大物たちは、手腕があっても何が足りなかったか、
その人生をみれば判るかもしれない。

10 of The Richest Criminals in History

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