ゴット・ファーザーになりそこね、アカデミー会員を剥奪された男の末路


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ワインスタインがセクハラ疑惑でアカデミー会員を追放になったのは記憶に新しい。
実はアカデミー会員を追放になったのは彼が初めてではないのはご存じだろうか。

彼の前に、馬鹿馬鹿しい理由でアカデミー会員を追放になった名も知れぬ役者がいる。今年83歳になるカーマイン・カリディだ。

©hollywoodreporter.com

現在アカデミー会員と呼ばれる俳優、女優及び映画関係者は6000人居ると言われているが、その殆どが白人で、しかも男性は77%。黒人は2%しかおらず、他の有色人種の割合もほんの僅かしかいない事が発覚。

こうなった原因は、『古き良き時代のハリウッド映画』で名監督のちやほやされていた白人主演俳優が、メインストリームで活躍していないにも関わらず『アカデミー会員だ』といい、毎年の賞レースに発言する権限を持っているからだ。
この様な『老害』の典型的な例の俳優の顛末を今回は追うことにする。

『一言言わせてくれ』、後少しで84の誕生日を迎える、古き良き時代の俳優、カーマイン・カリディは、リポーターを前にして言い訳するかの様に、こう前置きした。
彼は、自分のキャリア、そして、アカデミー会員を追放された経緯、その後をハリウッドリポーターに話した。

カリディは、NYマンハッタンうまれ。
米国は世界恐慌のただ中で、NYの街中ではマフィアの抗争が毎日、当たり前の様にあったという。映画『夜に生きる』の時代で少年時代を送ったともいえる。

『オレの周りは皆ゴロツキばかりだった。友達は皆大人になったら皆前科者。オレが俳優になったのが不思議なぐらいだ。というよりマフィアの世界に足を突っ込む前に軍に入ったんだがな。』

カリディが思春期の頃、朝鮮戦争が始まり、従軍した彼は戦争に派遣され、除隊後、家に戻ると、父親から『ゴロつきになるぐらいなら俳優にならないか?』と言われたという。カリディが戻ってきた時の米国は’50年代後半、誰もが俳優になる事を夢見ていた。映画で言うなら『ジャージーボーイズ』の様なものだ。

『あの時は、誰にでもチャンスが与えられていたのかもしれない。オヤジの一言に従ったから、今があるのかもしれないな。もしもオレが父親のいう事を聞かなかったら、オレはゴロツキになって、もっと早く死んでいたかもしれないよ。』カリディは自虐気味に言う。

だが世間は甘くない。舞台『ラ・マンチャの男』の傍役でデビューしたものの、カリディはその後、舞台では全く役がつかめないままだった。

そんな時、カリディは、デ・ニーロやアル・パチーノと共にスクリーンテストを受けに行く機会に恵まれる。それがフランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴットファーザーPartⅡ』だった。

スクリーンテストでは、パラマウント重役のロバート・エヴァンスがコッポラに、オーディションを受けに来た俳優に、様々な役をシャッフルして本読みさせたという。

『オレ?受けたはいいけど、ダメだと思ったよ。他に受けに来ている面々と比べたら、のろまでグズで、こりゃ受かりっこないって思った。でも端役が貰えて、親戚も友達も泣いて喜んでくれたんだ。コッポラの作品に出れるんだって。』

©paramauntpictures.com
カリディは、長男のソニー・コルネオーネ役のはずだった。しかし土壇場で降板となり、ソニー役はジェームス・カーンに。

カリディは、デ・ニーロやアル・パチーノ演じるコルレオーネ一家の宿敵となるロス(リー・ストラスバーグ)の下っ端マフィア・ロサド。そんな目立たない役でも嬉しかったのだ。

『役も貰えたし、何より有名な映画だったから、オーディションに受かった後は、ハドソン川までガールフレンドを連れて行ってデートもしたよ。今では懐かしい思い出だけどね。』

だが、カリディは、その後人生でしくじる。
コカイン所持で、警察の潜入捜査官に捕まり、前科者となってしまったのだ。それでもコッポラ監督は温情をかけ、彼に違う役を与え出演させることにした。
コッポラ監督の温情もあり、カリディは、その後、シドニー・ルメットの監督作にも出演。彼ら名監督からの推薦もあり、少ない出演作ながら、アカデミー会員になる事が出来た。

カリディのフィルモグラフィは、彼の息子世代、孫世代に比べ極端に少ない。
日本で放映されたテレビでも、’78年に放映されたマイナーなコメディ『名探偵再登場(Cheap Detective)』の端役で、ピーター・フォークが主演のこのドラマの端役にもクレジットされていない。

©Colombiapictures.com

アカデミー会員は、理事会に登録されている有名監督からの推薦や会員からの投票でなる事が出来るが、カリディは、おそらく前者の方だろう。
しかも一旦アカデミー会員になると生涯会員といい、映画人として何十年と活躍してない人でも、アカデミー賞の選考に携わる事が出来た。これが、アカデミー賞に選ばれる作品が今一つ面白くない原因の一つになっていたし、カリディの様に『運でなれた会員』も生み出してしまった。

では、何故、カリディは貴重な資格を剥奪されてしまったのか。

カリディは、’02年にある若者に壊れたVCRを修理して貰った。
その若者の名前は、ラッセル・スプラーク(Russel Spraque)。彼は、『ゴット・ファーザーPartⅢ』でカジホホストの端役として出ていたニッキー・ブレアの友人で、ニッキーに逢う為にハリウッドまで出てきていた。

カリディは、『ほんのお礼』のつもりで、ラッセルに、本来であれば違法であるはずの、会員にのみ配られる未公開映画が収録されたVTRのコピーを渡してしまった。しかも彼に頼まれ、兄弟姉妹の分と複数である。

『見た目、いいやつに見えたんだ。オレもブレアの知り合いだと信じて疑わなかった。』一旦チャンスを貰うと人は迂闊になるのだろうか。
カーマインは、その後もラッセルと定期的にコンタクトを取り続けたが、2年後に彼はアカデミー会員からの通達を受けることになる。

『カリディ、お前公開前の映画を誰かに見せていないかと、会員の奴らに聞かれたんだ。どこから漏れたんだと思ったら、オレが渡したVTRはコピーされて、ユーチューブに流れているっていうじゃないか。』

カリディは激怒し、ラッセルに電話を入れた『なんてことをしてくれたんだ!身内にだけ見せるからコピーしたのに!公開前の映画を流すって事はオレの仕事がなくなるって事だぞ!判ってるのかお前!』

それから暫くして、カリディはFBIの査問委員会にかけられ、’04年2月3日、彼はアカデミー理事会の審議により、追放処分となった。

『アカデミーの奴らは、お前は終わったなと離縁状を突き付けてきた。そりゃそうさ、’00年にさしかかるまでは、大手スタジオや理事会にいる監督のお声がかからないとオレたち俳優は仕事はもらえなかったんだから。』

追放処分を受けた後、カリディは、コリンビアピクチャーズと、ワーナーブラザーズから、30万ドルの違約金を請求された。

カメオ出演している俳優の知り合いという、嘘か誠か判らない素性の男に出来心でビデオを貸した、それだけで、追放処分になったという哀れな筋書きだ。

一方、違法コピーをしていたラッセルはどうなったのか。

実は彼をFBIに通報し、カリディが追放されるきっかけを作ったのは、ラッセルの妻だった。
ラッセルの家には大量の映画の違法コピーがあり、彼と彼の友人は、違法にコピーした映画に広告をつけて収入を得ていた。
ラッセルの妻は、17になる息子がいながら、その様な違法行為に手を染める夫を許せず、通報したという事だった。

ラッセルはLA地方裁判所で、3年の実刑判決を受けた後、獄中で心臓発作で死亡。

『今となっちゃ、証拠もないんだよ。ラッセルだけが違法コピーとネットに違法の映画をアップロードをしていたのかという事実も。何はともあれ、オレはバカだった。騙されていた。かといってオレはアカデミーをバカにしない。』
カリディは映画を愛しているからこそ、自らの行いは認め、こう言う。

カリディの事件以後も、アカデミーは会員向けの映画の配信はし続けているが、’15年にクエンティン・タランティーノの『ヘイトフル・エイト』が公開前にネットに流出した。これがワーナー配給作品である事から、カリディの一件といい、今回の一件といい、アカデミー創立時から関わるワーナーの闇は深い事になる。

一方、アカデミーを追放された後のカリディはどうだったのか。
彼は、現在リンパ浮腫を患っており、フルペースで仕事をする事は出来ない。だが、自分のペースにあった仕事はもらえるので、ホっとしているのだという。

会員であれば、現在映画産業に携わっていなくても一生涯、投票に参加する事が出来たが、受賞の偏りを防ぐため、’17年からは、映画界で全く活躍していない半隠居状態の会員をボイドしていく事にしていく方針らしい。

カリディの様な老兵はさりゆく運命にあるのだろう。

An Actor’s Personal Tale: I Was Thrown Out of the Academy for Sharing VHS Screeners

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