タイシルクで財を成し、アウトレットショップも盛んな国際ブランドと言えば『ジム・トンプソン』
スパイから富豪になり謎の失踪を遂げた彼のドラマチックな人生を辿るツアーが、タイやマレーシアで開催されている。
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ジム・トンプソンとはどの様な人物だったのだろうか。
軍からOSSへ
ジム・トンプソンは19世紀初頭、父親が評議員を勤める米デラウェア州の裕福な家に生まれた。
大学で建築学を学んだ後、1931年に第二次世界大戦に米国が参戦する前に米陸軍に志願。
’42年に、CIAの前身であるOSS(戦略諜報局)に転職。カリフォルニア州で秘密工作訓練を受けた後、ノルマンディー上陸作戦に参戦。大戦中は諜報員として欧州で活躍していた。
タイの縁があったのは、戦争中の諜報活動からである。
’45年6月にドイツが降伏した後、たった一国で連合国と戦い続けてきた日本の監視任務の為、トンプソンはインドシナ半島に滞在していた。しかし8月に日本が降伏した為、トンプソンは終戦前に連合国側となったタイに移住。
妻と離婚してしまった為、そのままタイに残る事となったのだ。
その後、OSSのバンコク支局長となったトンプソンだが、彼は帰国命令を蹴ってまでバンコクに残る事となる。何故だったのか。
ホテル経営で見えたタイシルクの現状
トンプソンは、妻と離婚した事もあり、OSSの任務でなく現地唯一の欧州風ホテル・オリエンタル・ホテルの経営に携わる事になる。
そこで彼は、機械織りの普及により衰退を辿っていた、タイシルクに目を付け、品質がいいタイシルクを高く売り込む事を考えた。
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シンプトンはホテル経営に携わる中、私財を投入しタイシルクを復興させ、『王様と私』などのハリウッド映画にタイシルクを起用させる事で、米国市場に品質の良さを売り込む事に成功。タイの生糸は太く、生地にすると光が当たる面積が多くなる。
その為、映画の衣装に調度いいのではないかというトンプソンに見立ては的中。富裕層の客を一気に掴んだ。
ジム・トンプソンは自らの名前のブランドを立ち上げ、店はタイ国内で約30店舗を展開。バンコク本店の他、高級デパート『セントラル・ワールド・プラザ』、『サイアムパラゴン』『エンポリアム』にも店舗を構えた。
現在ではアウトレットもあり、BTS(高架鉄道)バンチャック(BANG CHAK)駅の5番出口のSoi(ソイ)93通りにあるアウトレットだ。こちらではシルクのJKやワンピースが6000代で売っている。
戦後、他国に押されて衰退の一路を辿っていたタイシルクを一大産業にし『シルク王』と呼ばれる様になったトンプソンだが、その死は今も謎に包まれている。それは何故なのか。
謎の失踪
時は、’67年3月26日。休暇で訪れていたマレーシアの高級別荘地、キャメロン・ハイランドの別荘『ムーンライト・コテージ』からトンプソンは失踪してしまう。
当時、マレーシア軍や警察、現地の住人、数百名を動員した大規模な捜索活動にも拘らず、今日に至るまでトンプソンは発見されていない。
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事実、トンプソンは元OSS諜報員だったにも関わらず有名になり過ぎた。
時はベトナム戦争。膠着状態と化した戦争の中で、トンプソンは失踪当時も諜報関係者と接触を持っていた事も仇となった。
また身代金目的の闇組織の誘拐も考えられた。
有名人となった彼は、タイの政府上層部や反政府指導者に知人が多かった事から、暗殺説、営利目的誘拐も考えられた。
それだけでなく、トンプソンの姉が失踪から5か月後の8月30日に殺されている事から、トンプソンを狙っていたのは当時複数の暗殺犯であった事もの考えられる。
おそらくこの当時失踪もしくは暗殺されたトンプソンの行方を聞き出そうとした別の殺し屋がトンプソンの姉を殺したという説も有力だ。
だが近年複数の証言から、トンプソンが誰に殺されたのか、その真相が明らかとなってきた。
マレーシア共産党に殺された?
ちなみに、トンプソンの滞在していた別荘には、彼のジャケットと煙草が置きっぱなしだったという事、当時このコテージは、マレーシア共産党(CPM)の司令部が置かれていた事もあり、トンプソンがCPMの幹部と接触を図っていたのではという事が関係者の話で明らかとなった。
このコテージの持ち主の父親でシンガポール人のテオ・ピンは『実の父親が死の床で、昔マレーシア共産党(CPM)の幹部で植民地政府や英軍とも戦った』事やトンプソンとの関係を明らかにした事を語った。
だがトンプソンが接触しようとしていたのは、当時最重要指名手配されていた幹部だったという。トンプソンは身柄を調べられ、元OSSスパイである事を突き止められ、組織の末端の人間に殺された事が明らかとなったのだ。
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『CPMの仕業となれば、事が公にならなかったのは理解できる。』トンプソンと親しかったOSS幹部の中国人の息子がこう証言している事から間違いはないのだろう。
この事実は、ドキュメンタリー映画『誰がジム・トンプソンを殺したのか』を制作した米国の映画会社が’13年にリサーチを行った結果明らかにしたものだが、日本で公開される見通しはたっていない。
日本人でジム・トンプソンの失踪事件にインスパイアされたのは松本清張のミステリー『赤い絹』だ。あの小説ではアパレルメーカーの社長の兄が、タイのシルク王で謎の失踪を遂げる設定になっている。
名ミステリーにも影響を与えた、実業家の殺人事件。ぜひ解き明かして貰いたい。