トルコで起きたクーデターは未遂に終わり、軍人が拘束されましたが、
世界各国の政治活動家は、クーデターを起こした後や、任期満了後に
謎の死を遂げる場合もあります。
今回は、謎の死を遂げた政治活動家、マフィアを追っていきます。
1:マルセル・フランシーシ
©alchetron.com
映画『フレンチ・コネクション』のモデルと言われているコルシカマフィアの
マルセル・フランシーシは、’82年リムジンの中から遺体で発見された。
マルセルは第二次世界大戦時、レジスタンスの一員として暗躍し、
麻薬の横流しで資金を蓄え、シャルル・ドゴールが大統領に
立候補した際には、パトロンとなった。
マルセルの死は後に、Service Action Civique(SAC)と呼ばれる、
殺された可能性があるという事が判明。
2:エウジェニオ・ベリオス
©El Observador
’60年代に、アルゼンチン、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビアが、
共産主義に立ち向かう為に起こしたクーデター『コンドル作戦』のメンバー。
チリ秘密警察のメンバーとして活躍していたが、’90年にチリで軍政が崩壊し、
国民党がとってかわると、チリは、ベリオスをウルグアイに送還。
その後ベリオスは幽閉先のウルグアイから脱走したが、行方不明となっていた。
’95年、浜辺で白骨化した遺体となって発見された。
自殺か他殺かはいまだ判っていない。
3:ジェアード・フーバー
©El Mostrador
チリ秘密警察の一員だったが、’92年、家族とハイキングの途中に失踪。
フーバーの遺体が発見されたのは3週間後、頭蓋骨だけだった。
その後に、フーバーのお抱え運転手は自殺、失踪直後に見つかった
当時6歳のフーバーの息子は、親族が引き取るのを拒んだ。
だがその後の調べで、フーバーはピノチェトの手先である上官に、
殺された可能性が高いとされている。
フーバーは、ボスニア戦争時にクロアチアに武器の
横流しをしていた容疑もあった。
4:ジュベナール・ハビャリマナ
©Templeton
映画『ホテルルワンダ』のモデルになったルワンダ大虐殺の発端でもある人物。
穏健派のフツ族出身のルワンダ3代目大統領。
ブルンジ・フツ系大統領・シプリアン・ツタリャミラと共に
ルワンダの首都キガリに向かった飛行機が何者かによって迎撃を受け死亡。
植民地時代から教育面などで優遇を受けていた少数派のツチ族と
フツ族との間の摩擦が表面化し、大虐殺が起こった。
しかし後に、この迎撃ミサイルはルワンダの大統領区から発射された
痕跡がある事が判明し、大統領の死は再び謎に包まれる事となった。
5:アニー・マエ・アクアッシュ
©The New York Times
カナダインディアンの民族活動家。
カナダ・ノバスコシア州のインディアン指定保護区でミクマク族の一人
として生まれる。
電気も水もない極貧の生活を送り、母親は離婚再婚の挙句、
男と駆け落ちをするという悲惨な生い立ちの中、成績優秀な才女として育った。
思春期に初めて保護区以外の学校に通うが、酷い差別を受け、
民族運動にのめりこんでいく様になる。
有能かつ美人な活動家として知られていたが、’76年2月パインリッジ
インディアン保留地ワンブリー村で遺体で発見された、享年30歳。
彼女がFBIの密告者であるという噂を真にうけた男性活動家が
レイプした末に殺したとみられている。
6:マリー・シャルマン
©The Times-Picayune
ガン研究権威だったマリー・シャルマン博士の遺体が発見されたのは、
ニューオリンズのStチャールズ通りにある、彼女のアパートだった。
アパートの一室が激しく燃え、鎮火した消防士、そして現場検証に来た
刑事がみた現場は壮絶なものだった。
シャルマン博士と思しき遺体はマットレスの下敷きになっており、
彼女の右半身は消失、左腕は切り取られ、肝臓と肺の一部は持ち去られていた。
アパートの壁は血まみれで、現場からはシャルマン博士以外の
指紋が出てこなかった。
彼女の患者が犯人と言われているが、その中にはJFKを殺害したと
言われているオズワルドも含まれており、未だ真犯人は見つからない。
7:ミハイル・レーシン
©Sputnik
ついこの間までプーチン大統領の側近として仕え、元情報通信相として
働いていた、ミハイル・レーシンが心臓発作で死亡したという訃報が流れたが、
病死ではなく他殺であった可能性が高い事が判った。
ミハイルは、後頭部を鈍器で殴られた痕の他、他にも
外傷の痕跡があったという。
いかがだろうか。
政治活動家、もしくは側近が権力に近づく程、謎の死を遂げている事は
明らかだろう。
10 Mysterious Deaths Connected To Conspiracy Theories