アイルランド独立闘争を率いた過激派『アイルランド共和軍(IRA)』の元司令官のマーティン・マクギネスが、北アイルランド・ロンドンデリーの病院で20日死亡した、66歳だった
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マグギネスは、今年1日、自身が首相を勤めるIRAの政党シン・フェイン党の副首相を辞任。1月19日には体調不良を理由に政界から引退していた。
死因は前から患っていた心臓疾患と見られている。
マクギネスは、’50年アイルランド、ロンドンデリー生まれ。
’72年1月30日に同地で起きた『血の日曜日事件』に関ったIRAの人間の中から、政界入りした数少ない人物の一人。
’98年に北アイルランド和平合意が実現した後は、カトリックとプロテスタントが共同統治する自治政府に加わり、’07年に副首相となった。
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シン・フェイン党現党首のジェリー・アダムスは、マグギネスを
『偉大なる決断力、尊厳、謙遜を備え、平和と和解、国の再統一にむけ根気良く立ち向かったファミリーマンだった。誇りだった。』と語った。
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西ベルファストのアンダーソンタウンでは、様々な年齢の人々がキャンドルと旗を片手に、マグギネスが亡くなった夜を追悼していた。
マクギネスの棺は国旗で覆われ、ロンドンデリーの大通りにつくと『血の日曜日』事件のあった、ロンドンデリー・ボクサイトの前も通過。マクギネスを慕う人々で沿道は埋め尽くされた。
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だが、アイルランド全体が彼の死を追悼しているわけではない。
IRAテロの犠牲者となった人々は、今もマクギネスを赦してはおらず、彼の死は犠牲者への謝罪を怠った逃げという見解が広がっている。
『国中が彼のお悔やみを申し上げているなんて報道しないでほしい、彼の死を大袈裟に哀れむ人々は病的だ。』IRAの爆撃で家族を失った人は口々に言う。
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’84年のグランドホテルの爆撃で妻マーガレットが車椅子になったタビット卿もその一人だ。
爆撃のあった時、2人はグランドホテルに居た。タビット卿も怪我をしたが何とか一命はとりとめた、しかし妻は車椅子となってしまったのだ。
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『あの頃に比べたらIRAに生活を脅かされ事もなく、世の中は過ごしやすくなった。でもこれだけマクギネスを慕う人がいるだなんて信じられない。彼は確かに政界に転身し、身を粉にして尽くしてきた。だが、人殺しであることには変わりはない。永遠に罪を償うべく地獄でもがくだろう。』
ジェリー・ハンブレトンの妹マキシンは、’74年のIRAのバーミンガムのパブの爆撃でなくなった。
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『人々は本当の事を知ろうともしない。ただIRAが正義の為に戦ってきたと思い、マクギネスをヒーロー扱いしている。』
IRAの爆撃の犠牲者になった人々は、何の罪もない一般市民が多い。そんな彼らはマクギネスの残された家族に対してなんの感情も沸いて来ないという。
『僕たち(私たち)は、IRAの爆撃で未来ある家族を失っているんだ、ほぼ国をあげて追悼して貰っているんだから、マクギネスの家族を哀れむ必要などないだろう?』
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この写真の通り、マクギネスの家族は、数え切れないほどの犠牲者を出した
テロの後でも幸せそうなのだ。
犠牲者の家族から無関心であったり、恨まれるのも無理はない。
残念ながら、マクギネスが目差した和解への道は、死しても遠かったようである。