歴史を揺るがした連続殺人犯の動機は、一見私たちの生活から想像も
つかないものかもしれません。
ですが不満が鬱積すると腹がたつのは人間誰しも当たり前。
その行き着く先が犯罪であるとすれば、どうなのでしょうか。
ここでは、鬱積した不満が引き起こした連続殺人を挙げていきたいと思います。
1:エリック・スミス
©newsforants.com
’93年8月2日
米国ニューヨーク。
苛められっ子だった、当時13歳のエリック・スミスは、
4歳のデリック・ロビーを、公園に連れて行き首を絞め、
岩を頭の上に落として殺害、葬儀2日後に自首。
裁判所での様子は、この通り反省の色もないにも関わらず懲役9年。
2:ブライアン・ブラックウェル
©newsforants.com
父親のクレカでローンを組んで束の間のリッチな生活を楽しんでいた
18歳の英国のグダ息子ブライアンは、両親に見つかり、両親をハンマーで撲殺。
…なんともいえない結果。
3:アリーシャ・バスタマンテ
©newsforants.com
’09年10月ミズーリ州ジェファーソンシティ。
高校でもトップを争う成績だったアリーシャ・バスタマンテの殺害動機は。
『殺人がどんなものか試してみたかった』というサイコパス。
近所に住む9歳のエリザベスの首を絞め上、ナイフで刺し首を切り殺害。
しかも死刑の所、司法取引をして実刑判決後10年で釈放されている。
4:シンディー&ウルフ
©newsforants.com
’83年6月14日、米カリフォルニア州サクラメント
1人暮らしの未亡人、アンナ・ブラケット(85)が刃物で惨殺された。
犯人は親から虐待を受けていたシンディ・コリアとシャーリー・ウルフ。
施設から逃げ出した時に、不運な事にターゲットとなったのが裕福なアンナだった。
彼女は2人を紅茶でもてなしたが、荒んだ2人にはただの金持ちにしか見えず、
殺した後も『楽しかった』と供述。
だが、2人の行く末は違い、シンディーは施設内で短大学学位を取得。
’92年に仮釈放された後、ペパーダイン大学で法律を学び結婚。
シャーリーは’95年に釈放されたものの犯行を繰り返した挙句に行方不明となった。
5:デヴィット・ブロム
©newsforants.com
’88年2月 米ミネソタ州ロチェスター
16歳だったデヴィットは、父親バーナード(享年41歳)に
聞いていた音楽をけなされた事がきっかけで、家族全員を斧で、
めった切りにして殺害、終身刑となった。
彼には妹ダイアン(享年14歳)、弟リック(享年9歳)がいたという。
ある日突然父親対する恨みを晴らしたサイコパスだろうか。
犯行当時は痩せていたのだが、現在では
『フルメタルジャケット』のヴィンセント・ドノフリオ状態になっている。
6:メアリー・ベル
©newsforants.com
10歳で平然と人殺しをしたサイコパス・メリー・ベル事件。
’68年5月~7月にかけて英国で3人の子供が次々殺害された。
警察の尋問を受けた結果、メアリーと母親違いの姉妹ノーマの犯行と判る。
取調べまではニヤニヤしていた2人だったが、逮捕されてからは一変。
メアリーはノーマに罪をなすりつけ感情を表に出さず、
裁判中始終泣き続けるノーマに対し、11歳の子供であるにも関わらず超然とした。
2人の母親が、だらしない厚化粧のブロンドのカツラを被り法廷に現れた
売春婦であった事もある。
メアリーは、大ウソつきであった事が吹聴されており、結果として
裁判官への訴えも退けられることとなる。
後に自伝を発表しているが、これも信憑性があるかどうか不明だ。
7:ジェシー・ポメロイ
©newsforants.com
ボストン生まれのポメロイは、12歳の時に感化院に入れられ、
5歳程年下の後輩相手に殴る蹴るの虐待を繰り返していた。
1年半後に釈放されるものの、虐待された後輩たちは半殺しにされたも同然だった。
その後、ボストンで、メアリー・カラン(10)が,1ケ月後にはホレース・マレン(4)が
ころされるという事件が起きる。
前科があることからポメロイがにらまれ、あっさりと彼は犯行を認めた。
母親は町に住めなくなり転居したが、部屋の地下からはカランの死体が出てきた
だけでなく、他にも27人殺していたとポメロイは供述。
14にして終身刑が言い渡されたが、その後何度もハデにムショから脱走をしている。
連続殺人犯になったものの中には、家庭環境の犠牲になった者、
もしくは不満が鬱積して殺人を犯したというケースもある。
だが、中には感情を持たずサイコパスな犯行に及んだものもいるという事は考えられる。
17 Killer Kids and Their Horrific Crimes