【ミステリー】大西克己身代わり殺人事件は何故起こったのか?


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新婚1年目の真面目な夫が、自分の目の前で逮捕された上、全国指名手配犯なら。
歴史上に実際その様な事件があった。

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’58年、東京で結婚して建設会社で運転手として働く三浦という男は、会社や近所の人々にも真面目と評判で、妻子にも恵まれていた。
だが彼の生活は暗転する。
彼の本名は三浦ではなく、大西克己という全国指名手配第一号で、戸籍を盗む目的で人殺しをした男だったのだ。

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時は’55年6月、山口県下関市の市営住宅。
『死臭が漏れる』という近所の通報を受け、警察が駆け付けた所、そこに住む大西福松さん(60)と妻クマさん(56)が死んでいるのが発見された。

死因は青酸カリによる毒殺とされ、室内には『私は父母と相談の上、親子三人心中いたします。私は事情があり一日遅れて後を追います。みんな元気で暮らしてください。』という意味不明の遺書が残されていた。

遺書を残したのはおそらく、この家の長男で養子の克己(当時27歳)とみられていた。
克己は当時結婚したばかりで、身重の妻は臨月を迎え国立病院に入院していた為、この惨劇を知らなかった。

近所の人の話では、惨劇の起こる前日、克己は『両親を連れて岡山に行く』と言っていたのに、克己が一人で歩いていたので可笑しいと思ったという。それだけでなく克己の勤務先の酒屋から売上金130万円がなくなっていた。当時の130万円なのだから現在価格にしていれば相当のものだと判断出来る。
それから大西は姿をくらまし、事件は迷宮入りするかに見えた。

だが ’58年に茨城県水戸市湖畔で30代の男性のバラバラ殺人死体が見つかってから、事件は急展開を迎える。

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被害者は右手、親指、鼻、陰部を切り取られ、細紐で撒かれ、顔や指紋が判らぬよう硫酸をかけられオイル缶に入れられた。

損傷の激しい遺体かつ残虐な犯行の手口だったが、かろうじて指紋が取れた事もあり、被害者の身元を特定する事が出来た。被害者は墨田区在住の日雇労働者・佐藤(30)だった。
この時代、日雇い労働者の大半は前科者が多く佐藤も東京上野署に自動車窃盗の前科があった事から身元が割れた。

この事件の解決の為に、水戸署だけでなく本庁の刑事も合同動作に乗り出し、この時初めて、全国の凶悪犯罪者や殺人犯26人を全国総合指名手配するという試みが出来た。いわゆる指名手配第一号である。

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指名手配所を街に貼る事で住民からの聞き込みもしやすくなり、佐藤の家族から、佐藤が殺される前、’58年1月に、30代の西田という男が訪ねてきたと聞き出す事ができた。

西田は佐藤に会社のセールスマンをして欲しいから、戸籍謄本と移動証明が欲しいといい、家族はなんのためらいもなしに用意し、数日後、西田が現れ、佐藤と共に消えたというのだ。
警察は、佐藤が消えたという日から殺された日の足取りをたどると浅草の浪速屋旅館という所にたどり着いた。その台帳には確かに岐阜出身の西田という男と佐藤という男が泊まった形跡があり、殺害現場に落ちていた手ぬぐいから、被害者は絞殺されたと断定。
だが、この時点では警察は西田が何者かも判らなかった。

指名手配犯の調査を調べていくと、警察は’57年12月に、泥酔して住居侵入罪で逮捕された三浦という男の指紋と、大西の指紋が一致することを発見。2人を同一人物と推定した。
だが大西が本物の三浦を殺した理由と根拠が判らなければ逮捕する事が出来ない。警察は全国の行方不明者、失踪者事件を片っ端から当たる事になった。すると、岡山で起きた失踪・焼死体事件が怪しいという事にいきついた。

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’56年2月に起きた岡山の失踪・焼死体事件では、三浦さんの兄が弟の失踪届を出していたが、弟の燃えかすとなったコートを発見し焼死体となった事を発見。

戸籍を奪い、殺した後に、本人の身元が判らない様に死体を焼く、その手口は佐藤さんと同じだった。そして下関の養父母殺害事件の時に克己が『両親をつれて岡山に行く』といったのを近所の人が聞いていたのも逮捕の引き金になった。
警察は、大西克己が養父母を殺した後、戸籍を奪った後、三浦さんを殺し、再び戸籍を奪う為に佐藤さんを殺したと筋書きをたてた。

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もう逃げられないと思った大西克己は、警察が来た時には、妻の目の前で逮捕された。
妻はまさか自分の夫が、前科者だった上、故郷に『もう1人の妻』を残してきているとも知らなかっただろう。
そんな大西克己の人生は、どんなものだったのだろうか。

大西克己は、母親の私生児だった。大西克己の養父母は彼の祖父母だったのだ。
祖父母は子供に恵まれず養女を取った。それが大西克己の母親だったが、彼女は克己を産んだ後、籍もいれなかった。
明治男の父親に暴力を振るわれ育ち、軽犯罪を繰り返し、刑務所に入る事もあった。

そんな中、克己は’53年にある女性と結婚するが、今度は養母や実の母親にまで、お前が前科ものだとあの女にばらすと脅されるようになる。
それは稼ぎ頭の克己が結婚したら出て行ってしまうのでは、という養母への恐怖感だった。
追い込まれた大西は’55年6月、妻の入院中に養父母の殺害を決意。

その後、藤田と名前を偽り、大分・別府で食材卸の仕事を営み順調に暮らしていた。
しかし些細な事で、職場の同僚とケンカしてしまい警察に送検され、身元がバレるのを恐れ克己は上京し、人生を仕切りなおそうとする。

’56年2月、克己は『戸籍を4万で売る』という三浦に出会う。三浦の戸籍は北海道。これでばれないと思った。克己は岡山で青酸カリで殺し、ガソリンをかけて身元がばれないようにした。
これで完璧になりすまし、移動証明と戸籍謄本を手に入れ、女性と出会い結婚、子供にも恵まれ、運転免許もとり、運転手として働き始めた矢先、思わぬ人生の凡ミスをしてしまう。

’57年12月に泥酔して他人の家にあがりこんでしまい、これで警察署にて写真・指紋をとられてしまう。

また別人になりすます必要があると考え、日雇いの多い山谷でターゲットを見つけ、佐藤さんに声をかけ、巧みに騙し移動証明と戸籍謄本を手に入れ殺害。遺体に硫酸をかけ水戸市の千波湖畔にバラバラにしてオイル缶にすてた。

が、克己の考えが浅かったのは、当時の山谷に来る日雇労働者は少なからず前科者が多かった事。佐藤さんも例外ではない。戸籍を売っても構わないという程の前科ものはかえって気を付けるべきというのは、一般人の考え方だ。佐藤さんには前科があった為、警察に指紋があり、身元がわれた。

’58年7月15日、大西は逮捕。下関署で養父母殺しを否認していた克己も自供を開始。
 その後、三浦さんとはは別の男性1人も殺害していたことが発覚した。もう1人の男性とは水戸で発見された佐藤さんのことだった。

戦後特有の複雑な家庭環境が故に起こった加害者の愛情不足、戸籍を加害者に売った被害者の複雑な背景が、この様な犯罪を生み出したのだろう。
完全犯罪を目指した犯罪者だが、加害者の浅はかさが見えたが為に、完璧にはならなかった。

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大西の弁護士は、一度も面会に来ず、賠償金にびくともせず、弁護を拒否。
’65年3月22日には大西の死刑執行。37歳だった。

張り込み日記『渡辺雄吉』

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